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②ヒロポンさんにとっての、大切な1曲

(※トップ写真はヒロポンさん撮影・種山の夕陽/KESEN ROCK FESTIVAL '13にて)

「①ヒロポンさんを育ててくれた街はどこ?」から続く】

ヒロポンさんが大切にしている1曲を選んでください!

あぁあ…いっぱいあるからなぁ…(しばし悩む)、ケセンロックをやる上では10-FEET「シガードッグ」(2012)とかBRAHMAN「露命」(2012)とか、あぁ…(悩み続ける)。
高校の時からで考えると、THE ALFEEの「ROCKDOMー風に吹かれてー」(1986)っていう曲があるんだけど、あれが俺の中では神曲なのね。この曲が全て支えてくれてたっていう。今でも聴きますからね、「SWEAT&TEARS」(1986)とかも(笑)。
どの辺に今もグッと来ます?
アルフィーの曲って結構、“魂”が詞に出てくるんですよ。「SWEAT&TEARS」は最たる1曲であり、励ましの歌なのでとにかく元気が出ますね。
確かに、“魂をかけて”という歌詞が!
「ROCKDOMー風に吹かれてー」の方は、寂しい中にも“あの頃の自分たちを忘れんじゃないよ”っていう、解釈は色々あると思うんだけど“初心を忘れんなよ”っていうメッセージ性が強いと思ってて。それで励まされる曲だね、うん。
前に「東北ライブハウス大作戦」で配信をしてた時、“大船渡にライブハウスが出来たら誰を呼びたい?”って話になって、極度に緊張し過ぎたのもあったけど“アルフィーを呼びたいです”って言っちゃうぐらいなんで(笑)。意外すぎたのか皆に爆笑されましたけどね。
願わくばこの先いつかアルフィーに…!
それはもう、来て欲しいですね。(声のトーンが上がりながら)本当に。何かしら繋がったらね、もう、嬉しいですね。
インタビュー①で、アルフィーのラジオリスナーだった話をしてましたけど、そもそもラジオを聞く人でした?
俺、人が知る前に知りたい人なのね(笑)。当時はテレビよりもラジオの方が(音楽に関して)早かったし、“この曲、何?”って思ったりしながらラジオを録音して聴いてました。とにかく録音して、自分で(選曲した)カセットを作って、人に聴かせる。それで“この曲、何ってタイトル?”とか聴かれても、“うん、知らない”って(一同笑)。そんな中学〜高校時代でしたね。
とにかくバンドが好きで(レコードやCDを)買いに行けないけど、ラジオだと流れてきた音楽が聴ける。当時の自分にはラジオはたまんないですよね、洋楽も聴けるしさ。DJが紹介してるのを“あ〜聴いてなかった!今バンド名も言ったのに〜!”って(悔しがる仕草をする)。そんな青春でしたね。
ラジオ番組の中で、アルフィーはピカイチでした。話が面白いから喋りに引き込まれてあっという間に時間が過ぎてたし(笑)。それが俺の根本ですね。
ラジオにそんなシンパシーを持っていてくれたとは…!ところで冒頭、10-FEET「シガードッグ」のタイトルが出ましたけど、これはもう本当に…思いを持ってしまう曲ですよね。
あれは、ね…あまり聴けないんだよね、ぐっと来すぎちゃって。BRAHMANの「露命」もそう。「露命」のミュージックビデオは、ケセンロックの時の映像が使われてて。

2024年のARABAKI ROCK FEST.で10-FEETが地元の中学生のブラスバンドと一緒に「シガードッグ」を演奏したんですよ。この曲を選ぶって言うのがまた、本当に…
そうだよね…確かね、最初にフリークス(※現在のライブハウス・KESEN ROCK FREAKSになるまで複数回の場所移動を経ている)が出来る頃、TAKUMA(10-FEET/vo&g)くんがまだ出来上がってない1曲を当時、フリークスを作ってた人たちに聴かせたっていう話があって。その後“10-FEETがすごい曲を持って大船渡に来たんですよ”って(実際に)話を聞いて。その曲こそ、今思えば「シガードッグ」なんですよね。
そうだったんだ…。今、フリークスの名前が出ましたが、ヒロポンさんは現在、フリークスの代表も務めておられる。
今のフリークスは3代目で、1から図面も引いて自分が設計したんですけど、まぁ色々と揉めた揉めた(笑)。細美(武士/ELLEGARDEN・MONOEYES・the LOW-ATUS)さんにも相談したりしながら出来上がって。
現在のフリークスの店舗って、Tシャツを防音材に使って完成したんですよね?
幡ヶ谷再生大学を通して“Tシャツを防音材に使えませんか?”っていう話があったんですよね。茨城県常総市の水害があったTシャツ工場で廃棄するTシャツを使って。水に浸かってはいるけど、全然綺麗だったんですよ。
防音の効果っていうのは、実際のところどうです?
もうバッチリ!すごく防音になってます。ただ、(当時、防音材として使うには)Tシャツを洗うところから始まったんですね。綺麗だけど、やっぱり川の水に浸かったものだし雑菌があるから、除菌する洗剤を使ってうちの庭で洗ったんですよ。洗って、乾かして、っていう作業が真冬の1月〜2月で、Tシャツが乾かない乾かない(笑)。

皆の手で作り上げた
大船渡フリークス
(2017年3月撮影)
Tシャツを防音材として
埋め込んでいた時の様子です

ひと手間かけたTシャツがフリークスを守ってるんですね。そんなフリークスは「東北ライブハウス大作戦」の1店舗で、それは東日本大震災がなければ…というお話になるのですが。実はヒロポンさんも、2011年3月11日は大変な経験をされているんですよね。
大船渡で仕事をしてたんですよね、水門近くの道路工事をしてたんですけどメチャクチャ揺れて。その前にも(地震が)あったんだよね(3月9日/岩手県内で最大60センチの津波を観測した)、その時に作業員の方を全員帰らせて、様子を見ながら責任者である人たちが後の整理をしましょう、っていうことがあったんですよ。だから3月11日の時も同じようにして、リースで借りてる重機とかを高台に上げてから自分たちは帰ろう、って言ってたところに、あの津波が来たんで。高台の方に向かってる最中でしたね。
黒い水が溢れてくる感じをちらっと見て、それで走るんですけど、そこからのことはもう覚えてないですね。どこをどう走ったかも全く、(記憶が)真っ白です。高台についてから“ヤバかったね”って(同僚と)話した時には2人とも足は濡れてて。道路にも津波がサーっと来てたってことなんですよね。すごかったよ、大船渡湾の水が引けてなくなりましたからね。初めて見た…ってあんなのは見なくていい光景ですけどね、船もひっくり返ってさ。海の底が見えて、ゴツゴツした真っ茶色の岩が見えてました。
高台に到着してから、その後というのは…?
警察とか消防が“もっと高台に逃げてください”っていう放送をしてたのが印象に残ってますね。でも山を見ると、山の落石もひどくて白煙が上がってるんですよ。地震の余震がすごくて、木々の間から石が転げ落ちているからであろう白煙がバーっと上がってて。これ以上、上がったらかえって危ないよっていう感じで、そこにとどまってましたね。
防災無線も“第16波が到達します”って、津波の第16波まで放送してた。その後は停電しちゃうから放送もなくなっちゃうんですけどね。ずーっと海を見てましたし、津波の音は、今も耳に残ってます。
薄暗くなった頃から、家に向かって歩いていくのかな。国道45号線の低い道路は津波が来てるから、流れ着いた畳とかを皆で敷いて、その上を歩いて。車も瓦礫で通れないし、ハザードランプがついてクラクションが鳴りっぱなしでしたね。
住田町まではだいぶ距離がありますが…
そんな状況だしどうしようもないから歩いて行こう、って歩いてたら国道45号線の権現堂(※住田方向に分岐する交差点)にはあまり津波が来てなくて(車の往来もあった)。
たまたま何人か、車に乗ってる人たちが通って。“どこ行くの?”って見知らぬお爺ちゃんが声をかけてくれて、“住田です”って言って。そこから乗せてもらって、家に帰れましたね。

【千葉裕昭/通称・ヒロポン】
家業である土建業・千葉組を営みながら
岩手県大船渡市にあるライブハウス
KESEN ROCK FREAKSの代表を務める
2024年・5年ぶりに開催される
KESEN ROCK FESTIVALでは実行委員長
趣味はホームセンターめぐり
好きな食べ物はカシューナッツ

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(しかし我々の若さを見ても
刻んできた歴史と時間を感じますね♪)

【「③ヒロポンさんが大切にしている言葉」に続く/6月21日公開予定】

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