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①ヒロポンさんを育ててくれた街はどこ?

いつも通りの呼び方で今回のインタビューは進めさせてもらいますね。早速、ヒロポンさんを育ててくれた・育ててくれている街は?という質問から。
跡取りとして仕事を覚えて育ててくれた場所と言えば住田町ですし、エンタメ的なものを楽しませてくれているのは陸前高田であったり大船渡で、気仙管内っていう言い方になるのかなぁ。
“気仙”っていう答えになるのではと思ってました(笑)。
そうだよね(笑)。
早速、KESEN ROCK FESTIVAL(以降ケセンと表記)のお話になってしまいますが。今年のケセンのサイトに、“私たちの地元地域には『気仙郡』という地域概念があります。大船渡市・陸前高田市・住田町・三陸町の近隣2市2町(現在三陸町は大船渡市と合併)の地域概念で、古くは奈良時代に遡ります”といった記載がありますね。
“気仙って、海も山もあって羨ましいよね”って友達にもよく言われるんだけど、言われてみれば昔っから川でも海でも魚を釣ったり、山にピクニックやハイキングに行ったりしてましたからね。だから本当に身近なところで海と山があって、意外と贅沢な土地なのではないか、とは思ってますけどね。
生まれは神奈川で小学生の時に住田町に引っ越して来たんですけど、それまで山や川が身近になかったので、引っ越して来た時は(この環境を)単純に嬉しかったですね。姉2人は愕然としてましたけど(笑)。
そのまま小〜中〜高校と住田で育って、このままここで暮らしていくんだというのを子供ながらに感じてて。ここではないどこか(で生活する)、っていう発想は本当になかったですね。親父もお袋も土木業だったし、この流れで生きていくんだろうなっていうのがありました。高校を卒業して一度、(家業の)土建屋さんを継ぐので資格を取ったりするために専門学校に進んで宮城県には行ったけど、それで戻ってきた感じかな。

【千葉裕昭/通称・ヒロポン】
家業である土建業・千葉組を営みながら
岩手県大船渡市にあるライブハウス
KESEN ROCK FREAKSの代表を務める
2024年・5年ぶりに開催される
KESEN ROCK FESTIVALでは実行委員長
趣味はホームセンターめぐり
 好きな食べ物はカシューナッツ

住田町で家業を継ぐべく生きてきて、ケセンロックという音楽フェスに関わるというのは…ヒロポンさんのビジョンにはなかったことでは?
それね(笑)。でも昔っから音楽は好きで、忌野清志郎さんであったり、THE ALFEEとか、洋楽も姉の影響で結構聴いてて。高校の時もアルフィーのコピーバンドをやってたんですよ。
なんと!?
アルフィーとか、俺ら世代だとTHE BLUE HEARTS、BOØWYとかのコピーバンドをやってベースやギターを覚えて、実は(笑)。パートとしてはほとんどベースでしたね。専門学校でも続けてて、卒業してからも4人のメンバーで仙台でやってたんですけど、1人が“跡取りだから実家に帰んなくちゃいけない”って言い始めて、“俺もそろそろ、住田に戻んなくちゃかなぁ…”って思ったタイミングで、音楽とはもうスパッと、縁が切れたんです。
アルフィーのコピーバンドっていうのが痺れます!
ラジオでアルフィーが番組をやってたのを毎週、聴いてたんですよね(笑)。今でもアルフィーは大好きですよ。意外でしょ(笑)?コピーしてた時はね、「メリーアン」は結構難しくて、「星空のディスタンス」とかをやってたかな。スコアブックとかもなかったから、皆で耳コピしてね。
意外です(笑)。そんなヒロポンさんがフェスに関わっていくお話へ。ヒロポンさんが実際、最初にフェスに関わったのはいつのことになります?
2008年に「大船渡ロックフェスティバル」があって、“すごいことをしてる人たちがいるなぁ”って横目で見てたんですよね。次の年にまた“大船渡ロックフェスをやります”っていう話が聞こえてきて、“またやるんだ〜、すごいね”なんて話を、友達とはしたりしてたんだけど。

(↑クリックすると当時の様子が残っています↑)

当時ね、大船渡の飲み屋さんに結構通ってて(笑)。そのお店の人がバンアパ(the band apart)とか、大船渡ロックの出演者ブッキングをしていて。そもそも、そのお店でバンアパがライブをしたこともあるんですよね。バンアパのCDにツアーの日程と場所が書いてるんだけど、“岩手/マイアミ”って書いてあって。
当時わたしも謎でした。盛岡にクラブチェンジっていうライブハウスもあるのに、一体どこ?って。
岩手なの?マイアミなの?ってね(一同笑)。それで、そのお店の人が“2009年は大船渡で開催することが出来ないかもしれない。ロックフェスをやれるような良い場所、どこかにないかな?”って言うんで、住田町は広大な上に牧場もいっぱいあるし、もう真っ先にあの場所・種山(種山ヶ原森林公園/2019年までケセンを開催していた場所)を紹介したんです。昔、種山でスターウォッチングをやるために住田町が整備したんですよね。そんなことも言ったら、大船渡ロックフェスをやっていた新沼(崇久)さんたちも一緒に見に来て、“こんな良い場所があるんだ!”って。種山のことを教えたのが、関わりの一番最初で。

種山でのケセンの風景(2019年)
高橋ちえiPhoneレベルでこの景色が撮れるので
実際の夕暮れは(天候に恵まれればだが)
言わずもがなで美しい
やはり天候次第にはなるが夜になると
天の川や流れ星も見える素晴らしい場所

知らなかった!!もしもヒロポンさんが、大船渡の飲み屋さんに行ってなければ…
(ケセンが)種山での開催っていうのは完全にないですね、うん。今思えば、いろんな巡り合わせが…ね。(その時既に)開催発表もして、アーティストのブッキングも出来てるけど開催場所の発表はなかったの(一同笑)、すごいでしょ。
種山でやりましょう、って決まって。種山にステージを作らなきゃ、ってなりました。土建屋なので足場を組む業者とかは知ってるし声をかけたんですけど、いっさいがっさい断られて。何でかって言うと、種山は高低差が激しすぎるしデコボコしてるから無理っていうのが原因で。さぁどうする?ですよね(笑)。
さぁ、そこからどうしました?
とりあえず「ロックフェス」って検索したんだったかなぁ、それで出てきた写真とか文章を保存して。A3サイズに引き伸ばして写真を見ながら、知り合いの大工さんと2人で“ここはどうなってんだ?”って見るところから始めて。結果的に“作れるんじゃないかい?”っていう話になり、単管(=鉄のパイプ)っていう材が足りないから、あそことここから借りようって集めまくったら“これは行ける、ステージ組める!”ってなったんですよ。
それでステージの土台を組み始めるんですけど、普通、(フェス等で)演奏するステージ袖の両端にテントがあるんですよね。何のためにテントが立ってるのか意味も分からず、さらに階段やらスロープをつけてくれって(舞台監督に)言われても、何に使うのか全然知らないんですよね。だからスロープの勾配・角度がものすごい急なのを作っちゃったんですよ(笑)。
楽器をステージに搬入したりするためですよね。
そう。ステージ上手(かみて)・下手(しもて)から交互に楽器を搬入するんですけど…知らないって怖いよね(笑)。結果、そのステージでやってくれたんですけど“急すぎる!”って(一同笑)。

2009年・設営時の写真を発掘
こうして見ると素人目にも
かなりの急勾配だったことが分かります(笑)

未だに忘れないんだけど、2009年に初めて種山で開催した時は6月21日からステージ制作をしてるんですよ。連日、仕事が終わった実行委員が手伝いに来てくれて、本当に真っ暗の中で夜中までやってたんですけど、間に合わなくて当日の朝まで作ってました(笑)。
皆の手で作り上げたステージ…!
住田町の商工会・青年部の人たちも、手伝いに来てくれてましたね。懐かしいなぁ。
ケセンロックは全国的にも“手作りフェスの先駆け”みたいな言われ方をしたりしてましたけど、なるほど納得と言うか。
そうそう、当時はそうでしたね。飲食ブースとかアーティスト物販とかで使うテントも全部、地元の小学校とか公民館とか手当たり次第相談して借りて。だから運動会みたいな感じになっちゃって(笑)。結果として、それが良かったのかなぁ…田舎にいてこんなに忙しいことはないよね、って笑いながら、夢中になってやってましたね。

特に奥の方のテントに
地元の団体の名前が入っているのが
うっすらと見えますね
(そしてケセン名物と言っていい雨模様)

2009年の時は、日中は大雨で川も出来るほど(笑)だったんですけど。トリを飾ったBRAHMAN のライブの時、霧がすごい中で照明が幻想的だったんですよ。たまたま俺、その瞬間を見た時に“うわ、やって良かった”って…雨は止んだんだけど、ぐちゃぐちゃの田んぼのようになっている中で放心状態になっている時に見たBRAHMANにね…もう泣けちゃって、泣けちゃってね。神がかっていたあのシーンが、今思い返しても根底にあるし、 あれを見たから、今まで続けてるような気もするしね。

種山での開催時は毎年こうして
ボランティアの皆さんの手も借りながら
種山の草刈りや整備をして
お客様をお迎えしていました

【「②「ヒロポンさんの大切な1曲は?」に続く/6月14日更新予定】


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