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①騎馬武者ロックフェス実行委員長・鎌田仁を育てた街は?

鎌田さんともいつも通りの話し方で、4つの質問をしていきますね。1つ目・“鎌田さんを育ててくれた街は?”と聞かれたら?
やっぱり地元ですよね、福島県双葉郡浪江町というところです。二十歳ぐらいに“家にいたくない!”と、仕事のために南相馬に引っ越して1人暮らしを始めたんですけども。弱電関係の仕事をしつつバンドをやってました。
バンドを始めたのは?
中学生です、同級生が“やろうか!”って。それで先輩に呼び出されて“弾いてみろ”って渡されたのが6弦あってギターだったんですけど、そもそもギターかベースかも分かんないし、俺は“これがベースなんだ!”と思って6弦でベースのラインをずっと練習してたんですよ(一同笑)。
それはベースへの憧れがあったから…?
いや、憧れも全然なくて。でも何とか形になってきて(笑)、最初にやったのがPERSONZの曲かな、ベースラインを覚えて中2の文化祭で弾きましたね。その時にはちゃんとしたベースで(笑)、“ベースの弦ってこんなに太いんだ〜”って(一同笑)。
ただ、その時のドラムがあまりにもリズムが悪くて。“オマエ、俺と変われ!”って。ドラムをやってみたらバッチリ合った。それでパートを交代した、それが中3の時で。
そもそもドラマーへの憧れはあったの?
全然ないです。やっていくうちに、ドラムって面白いなぁって。それから4人のバンドでBOØWY(のコピー)を始めて。高校でも続けてね、メンバーが入れ替わったりしてたらいつの間にか終わっちゃったけど。
それからは?
南相馬にBACK BEATっていうライブハウスがあるでしょう?ドラムをやってて“もっと上手くなりたい”っていう壁にぶち当たってたんだよね、俺も。そしたらサウンドファクトリースタジオでドラム教室をやってるっていうのを聞いて、(現・BACK BEAT社長の)松本さんに習ったの。

コロナ禍もあり騎馬武者ロックフェスが
開催できない年が続きましたが
2022年に『Re-Build』のタイトルで
騎馬武者・復活への狼煙をあげた場所も
BACK BEATでした

え!?
松本さんはドラマーなの。松本さんに基礎を教えてもらって練習して。それこそ騎馬武者を開催してる馬事公苑の近くで当時は教えてて、駅からも結構遠いんだけど松本さんが送迎してくれてね。BACK BEATとはそんな始まりなんですよ。この辺のバンドマンは皆、馬事公苑近くにある、松本さんの実家の納屋を改造したスタジオのことを知ってますね。今はBACK BEATの2階にサウンドファクトリースタジオがあるんですけども。
BACK BEAT・そして松本さんと言えば「騎馬武者ロックフェスティバル」のステージでも大変お世話になっていますが、まさかそんな歴史が…ドラムを習って、それからは?
その頃はもうバンドに明け暮れてたのね。ずっとドラムをやってて、SCRAPっていうオリジナル曲のバンドも始めて。それが初めてライブハウスで演る、ってことになったの。それが仙台MACANAで。当時のMACANAって誰でも出られるようなライブハウスじゃなくて、テープを送って審査を受けて合格したら出られるっていう所で。

バンドマン時代の鎌田さん
目つきが…(笑)

ライブハウスに出るのにオーディションがあった時代ね。
そうそう!それで、送ったらOKもらって人生初のライブハウス。そしたら“良いね”って言われて次の出演も決める流れになって。その対バンが梶原(徹也/ドラマー)さんのバンド・The 3peaceっていうバンドで。
えっ!!??
そうなのよ、19歳とかの時なのかなぁ。“ブルーハーツの人だ!”って、俺もボーカルも“ぜひ対バンをお願いします!”って。もうド緊張ですよ。
そこからの付き合いなんですよね、梶さんとはずーっと。その時も打ち上げをやるんですけど、梶さんは(始まって)10分も経たないうちに寝床を探して。お酒飲めないからすぐ寝ちゃうんですよ。だから1回目はお話しが出来ないまま終わっちゃって、何回か対バンしてるうちに…まさか、ねぇ。こんな付き合いになるとは。
最初の話から驚きの連続ですよ…鎌田さんって元々、バンドで身を立てたいとかがあったの?
(声を大きくして)すっごく、あったね。16歳の時にはもう、頭の中はバンドマンしかなかった。もう勉強なんかやってらんねぇ!って、俺は高校をわりかし早く卒業して(笑)、音楽の専門学校で東京に行こうかとも思ったの。でも道は外れて、SCRAPは続けてたら、MACANAをきっかけにKORIYAMA CLUB#9に行って、福井(公伸/店長)さんが気に入ってくれて。“面倒を見るからオマエら、郡山に来い”って言われてメンバー全員、郡山に引っ越したんです。22〜23歳ぐらいの時かな、皆でアパートに住んでね。
そこからは#9を拠点にライブをやって、インディーズレーベルの紹介ももらって東京に行ってレコーディングして。小さいツアーも組んでもらって、太陽族だったりSHACHIだったり(マキシマム ザ)ホルモンだったり、その頃の世代のバンドと対バンして。あれ?盛岡には1回も行ってない(笑)なぁ(補足:高橋ちえの出身地が岩手県)。
知らなかった…SCRAPはその後、どうなっていくの?
仕事しながらずっと続けたけど、メンバー皆が最後は“これ以上は、無理だな”って。いつだったかなぁ…30代の時だけど。それで郡山から南相馬に帰ってきて、(南相馬で)仕事を始める、っていう。だけど“バンドを手伝って”って言われてサポートしたりとか、コピーバンドを組んでやってみたりとか、音楽はね、ずーっとやってた。黒歴史だよ(笑)。
そんなことない!この話があったから今に至ってるもの!
そうだよね、バンドがあったからこそだよね。俺、けっこう昔の本とかもちゃんと取ってる方なんだけど、この本、知ってる(と「STREET ROCK FILE」というタイトルの雑誌を出す)?今これを見ると驚くんだけど、SLANGが載ってたりする中で、SCRAPも載ってんだよ(笑)。
あ!“コミカルなステージに注目”って、四星球も載ってるわ…2006年の本だね。

今となってはかなり貴重な雑誌ですよね
他の号も読んでみたい!

SCRAPは何て紹介されてるの?
“まさにバンドマジック!”って書いてる(笑)、すごいよね〜。SLANGは“日本が誇る最重要ハードコアバンド”って書いてるね。太陽族は“夢、友情、太陽、青春”だし、セクマシ(セックスマシーン!!)も載ってるわ、“バカと天才は紙一重”だって(一同笑)!今となっては貴重だな〜、本にCDも付いてるし。
(追記;2012年に開催された「浪江音楽祭 in 二本松」にSCRAPが出演し、そのページにプロフィールが残っていましたのでコチラからご覧になってみてください♪)

【鎌田仁】
騎馬武者ロックフェス
実行委員長(代表)
普段は仕事をしながら
花男くんライブでは
時にパーカッションでサポートしたり
大きな地震に見舞われた石川県能登へと出向き
支援活動も続けている

好きなものはラーメン
趣味は温泉巡り&御朱印集め

【「②「鎌田さんにとって大切な1曲は?」に続く/8月16日更新予定】

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