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プレゼントコーナーを潰される。

小学生の頃に、ちょっとしたクラスの人気者になりたいと思った時、どういう行動を取りますか?

自分の場合はマンガやイラストを自由帳に書いてクラスメイトに見せて、「へー、上手いね!」とか言ってもらうことで、承認欲求がある程度満たされていたように思います。

小学校3年生ぐらいになると、ただドラえもんやキン肉マンなどを模写して見せるという段階から、ちょっとしたオリジナルストーリーを描き始めたりしだしました。

そうすると、自分の自由帳を「次、俺にも読ませて。」「新しいの描いた? 描いたらノート回して。」などと依頼が来るようになって、ちょっとした「雑誌発行ごっこ」が始まります。

マンガだけではなくて、ノートの1ページを使った、すごろくのようなゲームを作って書いたり、クイズ(なぞなぞ)のページを設けてみたり、みんなに見せることを意識し始めると、どんどん内容もバラエティに富んだものになっていきました。

その頃には「あみだくじ」の作り方をみんな覚え始めたりして、最初のうちは「(1)番を選んだあなたは…」と指で線をたどって下がると、「天才」って書いてある。「お、やった。天才!」。「じゃあ(5)番を選んだ君は……『バカ』!」「『バカ』だって。ははは(笑)。」ぐらいの無邪気なものでした。

その「くじ引き遊び」も、だんだん凝るようになってくると、「『当たり』が出た時に何か景品を付けよう!」ということがやってみたくなってきました。

自由帳

その当時、自分の育ての母親は「小僧寿し」で働いていたので、「お子様セット」的なものに付いてくるおまけを店からもらってくることがありました。

80年前後の昭和の頃ですから、今の子どもがマクドナルドのハッピーセットを買ってもらえるおもちゃ等のように、しっかりした物じゃありません。

巻き寿司といなり寿司のセットに、こぞう寿しだから「子象」だったのかな?…なんか象を模したオリジナルキャラクターのイラストが書かれた下敷きとか、レターセットとか…せいぜいそんな物です。

下敷きっつってもボール紙にビニールが貼っただけのような物だったり、ペーパークラフトと呼ぶにはあまりにお粗末な「切り抜いて紙ずもうをして遊ぼう!」的な印刷物だったり、とか。

うちの育ての母は貧乏人根性が染み付いたセコい性格の人だったので、「無料で貰える物は、とにかく一つでも多く貰ったほうがいい。もらわなきゃ損!」という考えで行動していました。

実際、極貧生活だったから仕方がないところもありますけど、状況のせいだけじゃなくて多分に性格によると思います。

いくら店のあまり物だからとはいえ、そんなおまけ品を5つも6つも同じ物をもらって来てはストックしていて、珍しく機嫌が良い時とかに自分にプレゼントだと、それもかなり恩着せがましく与えるのです。

「あんたの為に貰ってきてあげたのよ。」と。

でも、有名キャラクターでもないオリジナルデザインのシールのシートが10枚も15枚もあったからって、どこに貼ります?

折り紙用紙が5セット、6セットあったからといって、小3男子がずっと鶴折って楽しめますか。

遊びに使う物はまだいいけれど、たまに「かきかた鉛筆」3本セット…のような実用品もあったりして、それはありがたいじゃないかと思うかもしれません。

でも、育ての母は吝嗇も半端じゃなかったので、なるべく物を買いたくない。消耗品も少しずつ使う。再利用できる物はもう一度使う。新品を買ったからには、簡単に使い切らないようにする。

自分に買い与える物は何でもそうでした。「物を大事にしろ」という教えは立派かもしれませんが、小学生男子なんて、うっかり物壊したり失くしたりすることもあるじゃないですか。

鉛筆1本、消しゴム1個買ってもらうのにも気を遣いました。使い切って新しく買い直す必要に迫られても、「こないだ買ったばかりなのに!」と嫌味を言われます。失くしたなんて言ったら大ごとです。

かといって、ボール紙の下敷きが5枚も6枚もあっても、そんなに使いません。不必要な物ほど「せっかくタダなのに!」ともらい集めてきます。

同じおまけが重複してどんどん溜まる一方。


だから、当時小学生にして、いち人気マガジンの編集長気取りだった自分は、「これを読者プレゼントにしよう!」と思いつきます。

自由帳にあみだくじとか迷路のようなミニゲームを書き込んで、3等の当選者には「いろ紙セット」を。2等には下敷きを。1等にはノートと鉛筆のセットが当たります!…とやり始めました。

物をあげることで友達の気を惹きたいという下心ももちろんあったでしょうが、何より普段極貧生活の自分が、学校では気前良く友達にプレゼントをする…そういう行為ができることが嬉しかったのです。

所詮、おまけ品です。大した物じゃない。それをもらってクラスの友人がどれだけ喜んだかというと、たかがしれてます。人気取りにすらなってなかったかもしれません。

でも、そのちょっとした大盤振る舞いができることで、自分の気分がスカッとしたんです。

そういうところは、うちのヤクザな父親の性分を受け継いでいるのかもしれません。

舎弟に「いい時計してますねえ。」と、おだてられたら「お。そうか? じゃあオマエにやるよ。俺はもっといいヤツ買うから。」と見栄を張ってあげちゃう。でも、後日「あいた〜。こないだあの時計、やらんかったらよかった。」と後悔するような、粋がりな親父。

そんな姿を見て、「あとで悔やむんだったら、そんな見栄張らなきゃいいのにな。」と思ってはいたものの、片や育ての母は水道の蛇口に輪ゴムをどんどん溜め、発泡スチロールの弁当容器を洗ってはまた使い…だったので、「ケチケチしてるほうがみっともないなあ。」と思っていたものです。

あみだくじ

でも、そのプレゼントごっこも、すぐに育ての母親に見つかって潰されました。

なんで他人にタダで物をあげるのね。もったいない!」と。


「だって、下敷きが5枚も6枚もあっても使わないでしょ。」とかいう言い訳は通用しません。

とにかく、人から貰う分にはいいけど、自分の物が減るのが嫌なんです。他人が損するのを見るとザマミロと思い、他人が得していると知ると妬ましく思うんです。

なんかそういう浅ましさを見せつけられるのに、ほとほとうんざりしていました。

体罰を受けたり、用事にこき使われたりするよりも、多感な時期にそういうネガティブなマインドを植えつけられたことが、今となっては一番つらいです。

子どもの頃貧乏した人なんて世の中にたくさんいるんだし、不幸自慢をするなよと思われるかもしれません。

でも、自分があの頃を「暗黒の少年時代」と認識しているのは、貧乏のせいだけじゃないんです。

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