距離感

久しぶりの更新になってしまった。


けど "毎日更新" とか "フォロワー○人"
とか、そんなルールや目標は課してないから
気にしない。自分のペースで、残したいときに。

社会人になってから、
もう2ヶ月が過ぎようとしている。


色んなことがあった。

何もかもが順調で、このまま何も起きず
ただただ時の流れに任せて進んでいけばいいな、
と思う日があれば、

災害のように一瞬で状況が一変し、
全てを失ったかのような感覚に陥った日も。

"お金をもらっているから頑張らねばならない"

"周りが高いレベルでやっているから、
自分もギアを上げなければならない"

そんな風に自分を追い詰めていくうちに
大切なものを見失って潰れてしまったことが
あったり、傷つける必要のない人を傷つけたり。

得るものもあれば失ってしまうものもあって、
落としたものを探して拾い直しにいって、、
そんな2ヶ月だった。

そんな日々を過ごしていくうちに、
ふと人と接することに小さな恐怖を抱くようになった。毎日毎日ではないけれど、たまーに。

また何気ない一言で傷つけてしまうんじゃないか。
知らず知らずのうちにやっちゃうんじゃないか。
みたいに。

ずっとずっと一緒にいると、
どれだけ仲の良い人とでも衝突してしまうことを
大学生活最後の春休みに知った。

"絶対こいつとは上手くやっていける" と
信じていた奴との衝突は受け入れ難いものだった。

それを思い出した時、大切なことに気づいた。


いついかなるときも、誰とでも、適度な距離感を


時間的距離感、物理的距離感、心理的距離感。

誰にでも、"ここまではいいけど、ここから先は(まだ)入ってこないで" という空間があると思う。

どれだけ仲良くなっても、信じ合える関係になっても、そのまだ奥の奥に潜めている何か。

自分だってそうだ。

想いを込めて作っていたものを馬鹿にされたとき。

大切な人のことを無茶苦茶に言われたとき。

時間をかけて、色んなものを見て築いてきた価値観を、いとも簡単に否定されたとき。

"お前に俺の何がわかるんだよ" 
"何も知らないくせに"
"そこだけ見て決めつけてくるなよ"

と、思ってしまう。

結局、ありきたりな表現になるけれど、

自分がされて傷つくことは相手にもしないこと。

同時に、見たくないものを見てしまったとき、
見なかったことにすることも必要かも。

"あれは本当のあの人ではないはず"

"たまたまそういう日だっただけかも" 

みたいに、そっと受け止める気持ちや
見なかったことにする心の広さがあれば、
もっと人に優しくなれる。

もうすぐ梅雨。

雨が好きな自分にとっては楽しみな季節。

植物もいっぱい育つ。僕も育つ。瑞々しく。

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