【映画】パラサイト:監督/ポン・ジュノ:差は何だろう?

年間、文庫本で、小説ばかり、約150冊を読み続けているGGが、今年は読んだ本の読書感想文を書いていこうかと思いつつ、たまには映画や舞台のことについても。

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「パラサイト」(02/2020年)

早速見てきました。お客さん、入ってました!

サイトは当然、ポスターすら見ることもせず、内容に関する情報は出来る限りシャットアウトし、格差社会を描いている作品という知識のみで映画館に行って大正解でした。面白かったし、心揺さぶられたし、映画っていいな~って素直に思えた素晴しい作品でした。

で、巷にあふれる日本映画との「差」の問題なのですが、主に2点あると思いました。1点目は「分かる人だけ分かってもらえれば良い」という意識の問題。もう1点は「笑い」の問題。どっちが良い悪いということではなく、どこが違うか、という視点で考えた結果です。

最初の「分かる人だけ分かってもらえれば良い」という所ですが、パラサイトは世界中の誰でも理解できるテーマを意図的に選んでいるなと感じました。貧富の差はどこにでもあります。貧が韓国ならば、半地下なのでしょう。アメリカならばトレーラーハウス、日本だったらネカフェ、ブラジルならばスラム街なのかもって、誰でも想像がつきやすい、イコール感情移入しやすい、イコール共感しやすいってことになるかと思います。ポイントは半地下に住んでいることではなく、貧しい生活をしていることなので、多くの人が理解しやすいでしょう。

数年前に外国語映画賞を受賞した「おくりびと」と比較すると、あれはお葬式がテーマなのではなく、日本風のお葬式がテーマなので、日本のお葬式を分かっている人、もしくは分かりたいと興味をもってくれた人にしか響かないと思いました。もちろん、日本のお葬式の独特な雰囲気は非常に良かったのですが、共感するためにハードルは高いと思います。あのお葬式を、教会での葬儀や、アフリカ系の賑やかな葬儀に置き換えることは出来ないですよね。

日本の映画は、最初から「分かる人だけ分かってもらえれば良い」的なノリが多いかもしれないと思いました。普遍的な恋愛ものよりは、中学生、高校生に分かってもらえれば良い学園恋愛ものや、アニメの「文法」を理解した人だけ楽しんでもらえれば良いアニメ作品など。もちろん、それが悪いわけではありません。より深化していくことにより、コンテンツとして強大なパワーを宿すこともありますから。あくまでの「差」の問題です。

マーベル・DC作品が凄いのは、アメコミという一部の人たちだけが支持し続けてきたコンテンツを、無理矢理「全世界」の人が理解でき、共感できる内容にしてしまったことでしょう。それの行きつく先が「ジョーカー」だったわけですよね。深化ではなく拡散、大爆発って感じです。

「パラサイト」も、全世界の人が理解出来る、共感しやすいテーマがあって、それを韓国映画として描いているから、カンヌだけでなく、世界的に評価されたのだと思います。芯は世界共通。ロミオとジュリエットがいまだに演じられているのと同じく、そこには永遠の問題が内在されているのだと思います。

個人的には「分かる人だけ分かってもらえれば良い」映画、大好きです。ただ、そればかりだとバランス悪いな~って感じました。

あともう1点が「笑い」です。日本映画でも非常に心動かされる作品はたくさんあると思います。でも、それらの映画に、「パラサイト」のような普通の明るい「笑い」の要素は少ないかと思います。どちらかというと、皮肉を込めた暗い、シニカルな笑いが主流かと。

この作品、普通に笑えることの「凄さ」を感じました。よく言うじゃないですか、泣かせるより笑わせることの方が難しいって。コメディではないけど、これだけ笑えるって、脚本、演出、そして役者の力量が圧倒的ってことなんではないでしょうか。で、笑いの要素が、この作品の深さになっていると思います。笑っていた観客がたどり着いた先は、、、てことです。

日本映画も「パラサイト」の良いところは真似て、日本映画らしさは譲らずに、原作の無いオリジナル系で、世界的なビックヒットを狙って欲しいですね。

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