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スケープゴートは自らの足で生贄の祭壇へ上る

どうも、
#本の内容とはあまり関係のない話をする読書感想文
というタグを作っておきながら全然本を読んでないおじさんです。

読んだ本2冊だけか?と言われるのも何なので、せめてもう一冊くらい読むか、ということで3冊目に選んだのが阿Q正伝ですね。東北に行ったときに仙台が魯迅縁の地ということを知ったので、せっかくなので魯迅の書いた本を読んでみました。


むしろコメディとして読めるかも。

昔『ツァラトゥストラはかく語りき』を読もうと思って2、3ページ読んだところで「そうか、つまり君はそういうやつなんだな」と本棚にそっと返却した経験がある程度には純文学が苦手な私ですが、意外なことに阿Q正伝はスラスラと読めましたね。近頃はいかに言葉の先端を丸めるかに苦慮しているのが現代人ですので、昔の人らの言葉のチョイスが毒舌芸人の如く感じられるのかもしれません。

人を植物として例える。

さて、普段植物を擬人化して観察していることが多い私ですが、今回は逆に人を植物に例えてみます。読書感想文としては「大きく育つ(大きく見せる)ことが必ずしも良い結果をもたらすとは限らない」という感じですが、例えば、針葉樹が天まで届けとばかりに伸び、他に並ぶものがないほどになれば雷が落ちやすくなりますし、広葉樹が我が世の春とばかりに枝葉を茂らせれば、強風で倒れやすくなります。桃李物言わざれど下自ずから蹊を成すとは言いますが、道ができると根を踏まれて枯れてしまうかも知れません。

昔から寄らば大樹の陰とは言います。しかし雨宿りの場や木漏れ日を与えてくれる大樹の根本も、一度大嵐が来れば落雷の側撃を受けたり倒木に巻き込まれる危険があるので離れた方が良いかもしれませんね。桃李を枯らさない為には節度と労いが必要です。

少し話をずらしますが、樹海に生える一本の若木にとって、周囲の木々は陽の光を遮る存在に見え、いっそ山火事にでもなれば陽光を浴びることが出来ると考えるかもしれません。しかし、実際に山火事が起きれば身動きの取れない木は自分も燃えてしまいます。カカオの木なんかは『シェードツリー』という、自分より高い木が日除けになってくれないとうまく育たないとか。

新たな視点?

100年前に書かれた本の読書感想文で、斬新な切り口の解釈を出せるかというと難しいですし、もしかしたら誰かが既に書いているかもしれませんが、精神的勝利法をお洒落に言い換えると胡蝶の夢と言えなくもないかなと。【阿Qとは失敗した荘子である】みたいなことを誰かが言ってなかったか、今度AI君に聞いてみますかね。

しかしまぁ、100年経ってテクノロジーが進歩したところで、人間の本質はそこまで変わってない感じがしますね…ワイドショーを騒がす阿Q的な人にならないように気をつけんといかんですな。

そもそも100年を長く感じるのは人間の都合であって、1000年以上の時を生きる御神木達からすれば「まーた始まった」や「まるで成長していない…」みたいに映るかも知れませんし、逆に圧倒的速度で世代交代するショウジョウバエくん達からすれば「進化するには速さが足りない!!」と言われてしまうかも。私のような庶民はいつの世も、大きな潮流の中で辛うじて息継ぎできる状態でぷかぷか漂ってるのが定めなのかもしれませんな。

と、いうことで3回目の読書感想文となりましたが、婉曲に婉曲を重ねた結果、何が何だかわかんなくなってきましたね…実際に阿Q正伝を読んでみた方が早いですよ、というのが今回の着地点でしょうか。


ここまで読んでいただきありがとうございました。



ところで完全に関係のない話なんですが、還付が発生する人以外には無益な事務作業で脳のリソースを消耗させてくる確定申告とかいうものが存在する悪夢はいつ頃醒めてくれるんですかね?


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