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OD体験記

薬物の過剰摂取を英語で'OverDose’、略してODという。

いわゆる毒物の摂取とはちがうものの、
一定の限度を超えて多量にまたは集中的に摂取すると、
心身に深刻な症状を引き起こし、死亡する場合もある。

以下は、そのODを行なった2012年11月1日の記録である。

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再飲酒から約1か月。
前の週に仕事を再開して、復帰できたことが素直に嬉しくて、
職場の人たちも暖かく迎えてくれて、
幸せな気分で1週間の仕事を終わることができた。

土曜日には、視覚障がい者のランニング伴走ボランティアの
練習に参加し、帰り道に渋谷や池袋など、
普段なら用事がなければ通らない賑やかな場所を寄り道して
帰るほど調子もよかった。

状態が急変したのは、日曜日だった。

仕事は火曜日からだから、翌月曜日はまだ休みで、
気分的にはまだ余裕を持っていてよいはずなのだ。

これまでも仕事の前日に気分が重くなることはしょちゅうあって、
こういうのはいわゆる「サザエさん現象」なんて
言われるんだろうけれども、今回はまだ2日前で、
しかも動悸や目まいなどの身体症状を伴っていた。

疲れが出たのかもしれないと、
その日はいつもの薬を飲んで早く寝たが、翌朝の状態は増悪。

「仕事に復帰できて嬉しい」という気持ちと、
「その仕事から逃れたい」という気持ちが、
奇妙に同居しているのだ。

自動車のアクセルを踏みながら、
同時にブレーキを踏んでいるようなストレス。

その時に頭に「ポンっ」と浮かんだのが、薬だった。

ズルをして貯め込んだわけではないが、
途中で処方箋が変わったり、
作用が合わなくて服用を控えていたり、
単に飲み忘れることもあって貯まった数々の処方薬。

もう8年も通院しているのだから、
有効期限はともかく数だけはある。

「1回1錠」の処方薬を100数十錠飲んだ。
1錠目は躊躇したが、あとは自動的に口に放り込むだけ。
何のためらいもなかった。

「一口飲めばあとは同じ」という点では、
アルコールと同じだった。

念のために付け加えておくと、今回のODではアルコールは
使っていない。

理由は書くだけ嘘っぽくなるが、とにかくもう
アルコールは懲り懲りなのだ。
考えただけで吐き気がしてくる。

「疲れているので寝ています。起こさないでください。」と
テーブルに置手紙を書いて、ベッドに行ったはずなのだが、
帰宅した妻に発見された時、自分はおぼつかない足取りで
家事をしていたらしい。
口も呂律が回らなかったらしく、すぐに病院へ連れて行かれ、
解毒の点滴などを打たれたらしいのだが、
火曜日の朝までの記憶がまったくない。

いわゆるスリップ(再飲酒)ではないが、ODに至る過程や、
精神的なダメージはスリップした時と驚くほど似ている。

要するに、自分はまたしても現実から薬物によって
逃げようとしたのである。

「一度、仕事からも家のことからも離れて、入院してみるのも
ありかもしれませんね。」
と、主治医である精神科医から言われている。

入院してしまえば、
「実は自分は単にサボっているだけなんじゃないのか?」
という自責の念からある程度は解放されるのかもしれない。

一方で、一度それをやってしまうと社会復帰できなくなる
(=「精神病院への入院歴で人生が終わってしまう」という、
自分の中の偏見・差別意識)という心配もある。

昨日、入院病棟のある病院に行き、医師の診察を受けて
「入院適応」の診断は出た。

あとは「本人の希望次第」だという。

明日、病棟の見学に行く。
長ければ3カ月の入院生活になるので、
いくら旅行好きの自分でも、あまり雰囲気の良くない場所
ならばご遠慮させてもらおうと思う。

3歳のころに入院した時以来の入院である。
ぼんやりとした記憶しかないが、いい思い出ではない。

ましてや、今回は「手術」などの明確な目的のある入院ではなく、
「休養」「療養」のための入院だ。
厳密に言えば、「治療」ですらない。
「ひたすらゆっくりする」ために病院に入るのである。

今こうして働いていないだけで罪悪感があるのに、
逆効果なんではないか、という気もしてくる。

何を手放し、何から解放され、どう楽になればいいのか?

明日、おそらく入院するかどうかを決める。

どうせ3カ月なら、
インドにでも行ってガンジスで沐浴して過ごしたい・・・。

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