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周りを巻き込む病気

アルコール依存症は「周りを巻き込む病気」と言われる。

自分の身近な人たちに心配をかけ、迷惑をかけ、忠告を聞かず、
悪態をつき、酒を買うために金をちょろまかし、言い訳をし、
自傷し、自殺未遂をし、事故や事件を起こし、その後始末をすべて家族に
押し付けて飲み続ける。
身体が悲鳴を上げて「もう酒やめる」と何度約束してもそれを破る。
そして、そういうことが延々と続く。

アルコール依存症の5年生存率は5~6割(諸説あります)。
内臓疾患や事故、自殺で4~5割が5年以内に死ぬ。

5年で「死ねなかった」人は、断酒をしない限り、
上記のような地獄を再現し続ける。

私も、地獄を作り続けた一人だった(一応、今のところ過去形)。

エピソードの一つひとつをここに書くことはしない。
読むに耐えない内容だし、何より「一番ひどかった時」のことは
私自身が覚えていないのだ。

妻はもう思い出したくないのか、その時のことは決して語らない。

だから私は、自助グループのミーティングで聞く仲間の
エピソードを「自分のこと」だと思って聞く。

どうやって、償えばいいのか?

酒をやめる前、やめたくてもやめられなかった時に
思い浮かべたのは「死んでお詫び」だった。

しかし、ハッキリ言ってこれはない。
残された人たちの心には、必ず傷が残る。
「親も依存症だった」という仲間は、親がアルコールに飲まれたまま
亡くなった時に「ホッとした」そうだ。
そして「ホッとした自分」を今も責め続けている。
だから、「死んでお詫び」なんて、ただの自分勝手な自己満足だ。
勘違いしてはいけない。
「詫びる」のは自分だが、それを受け入れ、赦すのは、
あくまでも相手なのだ。

飲まずに生きる。
やはりこの延長線上にしか、「償い」の方法はないのだろう。
どれだけ時間がかかっても、「償い」はその先にある。
アルコール依存症の問題に限らず、信頼の回復には時間がかかる。
信頼を裏切った側が、「もういい加減に許してくれよ」とは、
言えない。それほど深い傷を、負わせたのだ。

飲まずに生きる。
そのなかで、常軌をはずれた人生を、少しでもまともなものに戻す。
深刻になり過ぎると絶望して飲みそうになるので、
肩の力を抜いて、深呼吸しながら、飲まないことをとにかく最優先に
する。

今日も一日、飲まずに生きられますように。

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