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1人の女性がエンジニアになるまで 〜きみ の場合〜

(追記)
2021年に書いた記事ですが、5社目に転職しているので、その部分や、自分の興味関心の移り変わり(英語→キャリア支援)などについて追記しました。

@wirohaさんの記事を読ませていただき、女性エンジニアが自分の人生を振りかえってみる記事をほかにもいくつか読んだので、私も書いてみたいなと思って書くことにしました。ほかの方はみんなすごいな、と思いつつ、こんなのでも一応エンジニアとして生きていけてます、という話です。

自分のこと

アラフォー、既婚、1男1女の母です。転職3回。今は英語学習に燃えています(主に発音)。
(追記)
…から、転職4回になり、現在5社目です。そして、英語学習は淡々と続けていますが、エンジニアのキャリア支援にメインの関心が移り、国家資格キャリアコンサルタントの資格を取得しました。

小学校まで

2人姉妹の妹として誕生。家には本がたくさんあり、誰が教えたわけではないのにひらがなが読めていたらしいです。小学2年生ごろ、従姉にりぼんの存在を教えてもらい、そこから漫画に目覚めました。それからずっと漫画が好きです。小学5年生ごろ、コバルト文庫の存在を知り、そこからライトノベルにはまっていきます。ファンタジー大好きっ子でした。さらには小学校の図書館で江戸川乱歩を知り、少年探偵団シリーズを読破したりもしました。

自宅にPC(PC9801だったかな?)がやってきて、そこでPCの存在を知りました。小学校の図書館に(多分)BASICの本があったので、それを頑張って打ち込んだりしていました。なぜそうしようと思ったのかはもう覚えていません。多分、キーボードを打つのが楽しかったのだと思います。思い返せば、これがプログラミングことはじめだったように思います。

また、小学校にパソコンルームがあり、当時はまだ12インチのフロッピーディスクとかがありました。

中学校

アニメと漫画とラノベが好きなオタクよりの中学生でした。海外のミステリにもはまり、コナン・ドイルとアガサ・クリスティーを読みあさりました。このころはPCへの興味は薄くなっていたと思います。あまり特筆すべきことがない…。

高校

勉強はそれなりにできたため、進学校に入学してしまいました。ある意味勉強にはまっていた時期でもあるため、PCとかに触ることもなく、過ごしてました。

そもそも、PHS(この記事をかいた2021/1/31でサービス終了とのことですね…)を高校生で持っている子が珍しかった時代でした。そういったデジタルツールは持っていなかったので、アナログに生きていました。

大学

大学受験を無事突破し、大学に入学。当時はやりの横断系と呼ばれていた学部に入りました。受験の動機は、家から近くてキャンパスが綺麗だったから。というのが大きくて、その後の人生をまったくというほど考えていませんでした。合格できたのは奇跡だったといまも思っています。

全員PC購入、1年生の授業では情報処理必須、という学部で、初めて自分のPCを持ちました。Windows95でした。
自宅にもISDNを引いてもらったりもしました。情報処理では一応Javaを学びましたが、本当に表面だけ、という感じでした。

大学ゼミではシミュレーションを組んだりしてました。そこでJSPとかServletとか、そのあたりを知りました。知っただけで、動かしたりまではいかなかったのですが。

趣味でホームページを作ったりもしていた時期で、HTMLとCSSの知識はこのころから多少はあるという感じです。

そんな感じで3年間が過ぎ、就職活動の時期がやってきました。PC嫌いじゃないし、募集多そうだから、という流れでIT業界に絞って就活していました。就職氷河期ギリギリ終わるかな、という年代だったので、とりあえず就職しなきゃ!としか考えていなかったです。この時は、それから20年たっても同じ業界にいるとは考えていなかったと思います。

就職を決めた会社に応募したのは、エントリーシート不要で、ボタン1つで応募できたからです…。

新卒1社目(SIer)

というわけで、流れのまま応募して、内定をくださった会社に入社。独立系のSIerで、配属は金融関連の部署になりました。ここから15年くらい金融業界のシステムに関わっていくことになります。就職氷河期末期とはいえ、SIerは大量採用時代でもあって、同期300人くらい、男女比は6:4くらいだったのではないかと思います。

この会社では情報処理技術者試験に合格すると奨励金がもらえたので(ありがとうございます)当時は頑張りました。かなり昔の知識になってしまうのですが、基本情報処理技術者、ソフトウェア開発処理技術者、アプリケーションエンジニア、プロジェクトマネージャ、ITストラテジストの資格を持っています。

C++、Javaで組まれているシステムを担当したあとは、プログラムを組むというよりは設計書を書いたりソースコードレビューをしたり、といった仕事が多くなっていきました。

また、DB大好きでOracleに情熱を注いでいた時期もあり、(当時のバージョンの)OracleMasterGoldまで取得しました。

テスター、PGから始まって、SE、PL、このまま進んでいくとPMメインになるかな、という年次まで働きましたが、実は管理作業がすごく嫌い(やや苦手でもあります)で、PMはやりたくなくて、転職することにしました。

ベンダーはもうやったので、じゃあ次はユーザー側だ!という安易な考えで、転職活動を開始。ベンダーから転職しようとすると、結局ほかのベンダーに移ることが多くてみんな行先が一緒的な傾向がありましたが、ユーザー側がいいなーと思い、社内SEを希望していました。将来的に結婚して子供を産むかもしれないし、ベンダーの激務では多分働いていけないと思ったのもあります。もっとも、ユーザー側が激務ではないという保証はどこにもなかったわけで(実際、そこそこ残業はありました)、結局あんまり考えてなかっただけ、という感じなのですが。

ずっと金融業界ばかり担当していたので、紹介されるのもやはり金融業界が多かったです。金融業界はルールが厳しかったりとかするので、経験者が求められているのもあったのかもしれません。

2社目(事業会社)

そんなわけで2社目。

社内SEとして、社内のシステムを管理したり、作ったり、ベンダーに依頼したりなどして過ごしました。メンバー6人のうち、女性は私を含めて2人。ほかの(事務系の)部署は8割女性、という感じの会社だったので、システム関連は女性少ないんだな、というのを感じ始めました。そして私以降に中途採用でも女性エンジニアの採用はありませんでした。この時代に、採用してくださった部長から「見た目より気が強いよね」と言われました。(夫曰く、気が弱い人間がIT業界で10年も働かないでしょ、とのことでした…)

そして社内SEはベンダーのSEとは違う大変さがある、というのがわかりました。SIer時代はシステム部門はプロフィットセンターで、間接部門(人事総務等)はコストセンターでしたが、事業会社の社内システム部門はある意味コストセンターでしかなく、システム開発費を抑えつつ事業で最大効果がでるようにしなければならず、そのあたりのバランスをとるのが難しいなあと感じました。

システム部門は男性が多かったですが、私は働きやすかったです。女性が多い部門のほうが、中でいろいろ調整とか気づかいとか、なんというか女性的な協調性なものが必要となるようで、自分がその中に混ざって生きるのは無理そうだな、と思いました。

この社内SE時代に2度、産休育休を取得させていただきました。1人目のときは保育園の関係で出産後半年くらいで復職。今振り返ると、そんなに急いで復職しなくても大丈夫だったのかもしれないのですが、当時自宅近辺の保育園はどこも空きがなく(事実、1人目は認可保育園には入れず待機児童になってしまい、ギリギリ無認可保育園に滑り込み)、0歳4月で入園できなかったら退職するしかないかな、と考えていました。復職後は時短勤務で、2年後に2人目を妊娠。1人目復職が早かったので2回目の産休にはいるまでちょうど2年開きましたが、1人目で1歳まで育休をとっていたら、復職後1年で再び産休となってしまい、それはそれで肩身が狭い気持ちになっていたかもしれません。2人目もやはり0歳の4月に復職。その後、上の子が年長になる年まで勤務しました。

上の子の小学校入学が迫ってきて、そのときに家で仕事をしていたいな、と思うようになり、在宅フリーランスになるか、リモートワーク可能な職場に転職するか悩み始めました。フリーランスでやっていく自信はあまりなかったのですが、そのとき一緒に働いていたフリーランスの方が大丈夫ですよ!と言ってくださっていたので一応登録だけしました。

2.5社目(フリーランス)

開業届も出し(形から入るタイプ)、業務委託の仕事を探すことにしました。どうせなので開発以外の仕事もやってみようと思い、特にエージェント等を使わずに自分で探して応募して、リサーチ系の事務のお仕事を2か月ほどやらせていただきました。そのまま問題なく続けられそうであれば事務職のフリーランスとして生きていくのもありか、と一瞬思ったのですが…。

ずっとエンジニアとして仕事をしてきたからなのか、単なる性格か、ルーティンワーク多めの事務の仕事を長く続けることができませんでした。ひとには向き不向きがある、というのを実感しました。

そして(事務ですが)フリーランスを2か月ほどしてみて、ずっと会社員だったので、フリーランスという立場が不安に思え、リモートOKの会社はそれなりにありそうだったので、再び転職活動を始めました。転職フェアに参加し、何社かお話を聞いて、応募してみました。1社めちゃくちゃ採用スピードが速い会社があり、一刻も早く働きたかったのでそこに決めてしまいました。

その直後に、フルリモートのフリーランス案件の紹介がありました。このタイミングが前後していたら、もしかしたら今はフリーランスエンジニアだったかもしれません。

3社目(小規模ソフトウェアハウスでiOSエンジニア)

仕事に慣れるまでは出社で、慣れたらリモートOKという会社に就業。iOSアプリの開発でした。

iOSでの開発は初めてだったのですが、特にドキュメントがあるわけでもなく、プログラムそのものしかなかったので、自分で一から情報を探して開発や改修を行っていきました。モバイルの世界に初めて足を踏み入れましたが、深すぎて、踏み入れたところで終わっています…。

もっと自分でいろいろ探しに行かないとエンジニアとして食べていけないかもしれないという危機感も同時に覚えました。PMとしての道を選ばなかったのであれば、そのほかの分野のエンジニアとしての売りが何か欲しいわけです。いままで薄く浅く取り組んできた部分を、もう少し深堀しないといけないと思いました(いまさらですが)。

この会社には半年くらいお世話になりましたが、やはり負荷が高く土日作業があったりなどして家庭との両立が難しいと判断し、再び転職することにしました。

4社目(小規模ソフトウェアハウスで何でも屋さん)

フルリモートOK、家庭優先OKという条件で探して応募して、たまたまニーズにマッチしていたということで4社目の会社に拾っていただきました(ありがとうございます)。20年弱のエンジニア生活の経験を生かして、若いメンバーのメンターになってほしいということで。ほかのメンバーは皆さんお若い方で、年齢では社長の次が私です。

コロナが拡大する直前の時期に入社し、当初は週1くらいは出社する予定でしたが、すぐにフルリモートに切り替わりました。そして現在にいたるまでフルリモートで勤務しています。

社内の労務管理関連のツールを作ってみたり、新入社員の技術研修の先生をしてみたり(しかし私もその言語はほぼ新人レベルなので一緒に勉強しているも同然)、とある案件にヘルプに入ったりしています。

ぶっちゃけると、実は経験年数が長いだけで、大した開発経験があるわけでもなく、中途半端なマネジメントスキルしかなく、自分が何エンジニアなのかは不明です(一応SEのつもりではありますが)。ただIT業界に在籍しているなんちゃってエンジニアでしかないような気もします。ただ、そのときそのときに求められる役割を果たすことはいまのところできていて、それがある意味年の功、というものかもしれません。

その時自分に求められている役割が何かを理解して、足りないものを自分で補えるだけの経験が一応財産なのかな、と振り返ってみて思いました。社会人経験が長ければ、それは皆さん取得するスキルなのかもしれませんが。

(追記)
…ということを書いていたのですが、この記事を書いた3か月後に5社目に転職しました。

5社目(小規模ITコンサルタント)←いまここ

4社目は大変働きやすく、家庭の事情にも配慮していただいていたのですが、贅沢な悩みとわかってはいたのですが、配慮されすぎて暇すぎて、モチベーションが下がってしまいました。

そのような状態から抜け出すために有料でキャリアカウンセリングを受けました。そこで、自分が仕事に求めているものは何なのか、どういった状態を求めているのか、どういう行動をすると次につながりそうか、などといったことを整理する機会を得ました。Wantedlyのプロフィールを更新してみたら、という提案もありました。
また、そのキャリアカウンセリングを提供してくださった企業(ミートキャリア)のnoteの記事でWantedlyのプロフィールで自己分析するというのを読んだので、真似してプロフィールを更新したところ、現在の会社の代表からスカウトメールをもらいました。

会社規模は4社目とあんまり変わらないのですが、私の経歴・経験が嵌まるポジションの人員を求めていたこと、裁量労働制で、さらにフレキシブルに働くことができそうと感じ、スカウトから2週間で転職を決意しました。

今はデータエンジニア的なポジションでお客様を支援する立場です。マネージャ業から逃げ回っていた20年間でしたが、現在はチームマネジメントが主な業務です。
マネジメントに対しては、お金と時間の管理をするものという固定観念があったのですが、それだけではない人のマネジメントの部分に(以前よりは)関心が出てきたので、マネジメントもそこまで苦痛ではないです。
ただ、自分で手を動かしたいという欲にかられることはあります…。

番外:国家資格キャリアコンサルタントになりました

4社目から5社目に転職する期間に、キャリアコンサルティングを受けました。その時の感想についてはこちらにまとめています。

キャリアカウンセリングを受ける中で、こんな素晴らしいサービスがあるんだから、みんな受けたほうが良い!と感じ、なんなら自分が提供しちゃえばいいんじゃないか、という(我ながら謎の)思考の飛躍を経て、キャリアコンサルタントの資格取得に挑戦することに決めました。
約半年のキャリアコンサルタント養成講座の受講、それから3か月くらいの受験対策を経て、2022年3月の試験に合格しました。
自分の興味関心・指向とかは、実のところ対人支援のあたりにはそれほどないのだと感じていますが(キャリアコンサルタントの勉強をする中で受けた興味指向を診断するツールでもそのような傾向が出ています)、良いものをみんなで共有したいという気持ちがベースになっています。
そして、共有するにあたって、裏付けとか根拠とか、自分が拠って立つものがあったほうがアピールしやすいだろうなという気持ちから、資格を取得しました。
キャリアに関する対人支援に資格は必須ではありませんが(そのあたり、ITエンジニアの資格とも似ている部分があるのかも)、キャリア理論、カウンセリング理論、倫理規定など知っておくべきことが学べたのは良かったと感じています。

ITエンジニア(ただし、つよつよではない)の経験×キャリアコンサルタントで、今後支援をしていきたいな、と考えています。

おわりに

子供が大きくなる(中学生くらい?高校生くらい?)までは、正直自分のリソースをやりたい分だけ仕事に割り振るのは難しいと考えています。なのでいまのゆるゆるなんちゃってエンジニアが私的には生きやすい形ではあるのですが、エンジニアとしての向上心はどこへ行った…的な気持ちもあり、悩ましいところです。技術本を買って読んだりはしていますが、それだけでは身につかないものがいろいろとあるので。

いまさらPMに舵を切るのもなー、と思ったり、かといってPMだけになって実際に手を動かせないとフラストレーションたまりそう、というのもあり。手を動かすほうは趣味でやればいいのかもしれないですが、今の趣味は英語の勉強なので…。
(追記)
メインの関心分野は英語からキャリア支援に移っていますが、そのなかでマネジメント(PM)に対する忌避感みたいなものは薄れつつあるように感じています。
同時に、英語の必要性は依然として感じており、会社に補助してもらってオンラインのビジネス英会話を1回30分、週4~5回のペースで受講しています。英語力が向上しているかどうかは微妙ですが…。。

こんな感じで流されてきていても、なんちゃってエンジニアとして生きている人間もいます、というお話でした。

とりとめなくなってしまいましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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