見出し画像

働く母8年生になります(1)

2013年に長男を出産し、2014年4月に復職。2016年6月に長女を出産し、2017年4月に復職。約1年半の産休育休を挟んでいますが、今年の4月でワーキングマザーとなって8年目になるということに気づきました。

働く母として過ごしたこの8年間をちょっと振り返ってみようかと思います。

長男出産まで

結婚したのは1回目の転職後でした。2社目に入社して1年くらいで結婚、さらに1年くらいで妊娠。仕事は社内SEだったのですが、女性が少なかったので、かえっていろいろ気を遣っていただいたと思います。

悪阻かな?という症状としてはひたすら眠いくらいで、あとは元気な妊婦でした。会社のほかの経験者に聞いたら、出社時間を遅らせたり、時短にして早く帰ったりとかしていたらしいのですが、そんなに気持ち悪いとかがなかったので普通に定時で働いたり、残業したり。産休も34週から。

背が低いので、出勤の混雑で息がしづらかったのだけはつらかったです。春から初冬にかけての妊婦生活でした。

産休中は暇だったので、観る習慣のなかったテレビをよく見てました。振り返ると、自分のことだけ面倒を見ていればよかったので、一人目の産休が一番ゆっくりできる時間だったように思います。

長男出産後復職まで

11月に長男を出産。本陣痛がきてから出産まで8時間くらいで、初産婦にしては早いといわれました。里帰りしなかったので、実家の母に2週間ほど来てもらいました。母が帰るとき、子供をちゃんと育てられるか不安で、情緒不安定になりました。

当時自宅近くには認可保育園が2園くらいしかなく、激戦でした。0歳4月で入れなかったから1歳4月ではもう入れないだろうと考え、0歳4月での保育園入園を申し込みました。

その1年後、近隣に認可保育園がどんどん増えていき、1歳4月でももしかしたら入れたかもしれないな、と思いました。ただ、それは振り返ってみて結果的にそう思えただけで、実際には入れなかった可能性のほうが高かったと思います。もし保育園に入れなかったら育休を1年延長して、1歳4か月での入園にチャレンジしたとは思いますが、それでもだめなら退職するしかないと考えていました。

結局、0歳4月では認可保育園には入れませんでした。保険として申し込んでおいた無認可保育園から、3月末に入園できますという連絡が来て、そちらに入園することにしました。

働く母1年生(長男0歳)

0歳5か月で長男は保育園に入園。入園したこどものなかでも、一番年下でした。コロンと丸くて小さかったので、保育園のお兄さんにかわいがってもらって、本人もどうやら懐いていたようです(ちなみに、今は全然覚えていません)。

ミルクを全然飲まなくて、ミルクのメーカーを変えてみたり、哺乳瓶を変えてみたりしましたが、効果なし。保育士の先生もスプーンで飲ませてくださったり工夫していただきましたが、ほぼハンガーストライキ状態。離乳食を早めに始めたほうがいいのかな、と考えてました。

仕事のほうは半年休んだだけ、という状態だったので比較的早く勘を取り戻せたように思います。ただ、時短勤務ということで6時間(休憩を入れると7時間)しか作業時間がなかったため、やはり出産前と同じようには働けませんでした。

子供が熱を出したとかでの呼び出しもそれなりにありました。勤務していた会社は中小企業ではありましたが、制度はそれなりに整っていた(と思う)ので、子供の看護休暇や有休休暇をやりくりしてなんとか乗り切りました。有給休暇が残りゼロになるくらいの休みっぷりで、次年度が心配になりました。

働く母2年生(長男1歳)

長男は歩くのが遅くて、1歳6か月まで歩きませんでいた。1歳6か月健診で小児科の先生に診ていただいたのですが、「頭がいいから、歩かなければ抱っこしてもらえると思っているから歩かないんだよ」と言われました。このまま歩かなかったらどうしよう、と悩んでいたら、あっさり立ち上がって歩き始めてほっとしたことを覚えています。

仕事は相変わらず。基本的に残業はできないので、時間内でいかに自分にまかされた仕事を片付けるか。幸いにして、自分ひとりで完結する仕事が多かったので、自分で作業スピードやスケジュールをコントロールできました。ほかの事務系の部署の時短ママたちは業務の繁忙期になると大変そうだったので、その部分では恵まれていたと思います。

また、システム関係の部署は体調不良の方もそれなりにいて、突然休んだりとかもあったので、子供の体調不良で突発で休んでもお互い様という雰囲気があって、それにも助けられました。

長男が2歳になるかならないかくらいで、2人目の妊娠発覚。2回目の妊婦生活は冬~初夏にかけてで、長男の時とは反対の季節を過ごすことになりました。

2人目の時も元気な妊婦でした。悪阻もほとんどなく、ほぼ妊娠前と変わりなく通勤していました。また、なぜか体重の増加が緩やかで、2人目妊娠というのを周囲の人にあまり知られていなかったようです。

ただ、大きいおなかを抱えて長男の保育園の送り迎えをするのはちょっと大変でした。ちょうど寄り道をしたがる年齢になってきて、保育園から家に帰るまで1時間以上かかることはざらでした。あまり運動とかができていなかったので、ウォーキングだと思って付き合っていたように思います。

働く母3年生(長男2歳)・・・育休

年度の切れ目で産休に入れるとちょうどよかったのですが、翌年度には復職予定で有給休暇をたくさん残しておきたかったので、4月は3週間ほど勤務して、9か月に入る週から産休に入りしました。ワーママ4年目はまるまる産休育休の年となりました。

産休に入ったとはいえ、長男は保育園に通っていたので、保育園の送り迎えは引き続き必要でした。

出産のときに長男をどうするか、というシミュレーションを考えたりしていましたが、結局早朝に陣痛が来て、私を病院に送った足で主人は実家に長男を預けに行きました。2人目は陣痛から4時間での出産となり、主人はギリギリ立ち会うことができました。出産直前まで痛みを忘れていましたが、陣痛は1人目も2人目も変わらず痛かったです。

長女は6月生まれだったので、翌年4月の復職まで10か月ほど育児休業を取得しました。お金の話になってしまいますが、長男出産後に復職したあと時短勤務になり給与も按分となり、全体的に年収が下がってしまいました。ですので、長女の時の育児休業給付金は長男の時よりもかなり金額が少なくなってしまいました。

この時期、時間があったからか、なぜか突然洋裁にはまり、ロックミシンを買ってしまい、長男と長女の服を作ったり、保育園で使うバッグを作ったりしていました。

長男が通っていた保育園は自宅からやや遠かったので、自宅からすぐのところにある保育園への転園を考え始めました。兄妹で入ることになるのと、育児休業明けということ、長男が次は3歳児クラス(年少)で、クラスの人数の枠が増える年齢でもあることから、2人そろって入れるのではないかとあたりを付けて、転園希望を出しました。

0歳から3年間通った保育園自体に不満はなく、家からの距離がもっと近くだったらそのまま通い続けたかったのですが、長女が卒園するまであと6年間通い続けるのは無理だな、と判断しました。

目論見通り2人そろって家の近くの保育園に入園できることが決まったときはうれしかったです。長男は仲良しのお友達と別れることになってしまいましたが、転園をあまり理解していなかったのか、新しい保育園が楽しみだったのか、嫌がりませんでした。

長くなってしまったので、働く母4年目はに続きます

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?