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夢をかなえるゾウを読んだら悪夢を見た

時は金なり。

これまでの僕は、この言葉の意味がよく実感できなかった。言いたいことはわかる。

だけど、

辞書の意味を知っているだけで、実感を伴わない薄っぺらい言葉だった。


実は今、深夜に目が覚めてこの記事を書いている。おそろしい夢をみて、もがき苦しむように布団から出た。

なんでこんな怖い夢を見たのか。思い当たる節はある。

最近になって「夢をかなえるゾウ」を見返している。数年前に一度おもしろおかしく読んだが、ほとんどその内容を覚えていなかった(これだけ笑える本でもおぼえてない自分の記憶力おそるべし!)

その一節にこんなことがかかれている。

誰に言われるでもなく、勝手に想像してワクワクしてまうようなんが夢やねん。考えはじめたら楽しゅうて止まらんようになるんが夢やねん。

ガネーシャという関西弁の神様が放った言葉だ。主人公の「ぼく」に対して「宝くじで2億あたった」と言い、「ぼく」にその使い道をとおして夢を想像させるシーンだ。

実は昨日、寝る前に同じ想像をしてみた。2億あたったらどうするか。いや、いっそお金が無限だったら何をするかと。

・クソデカくて、クソきれいな家にすむ(語彙不足)
・全都道府県に別荘をたてる
・家に執事と専属のコックがいる(料理とか家事が面倒すぎるため)
・最高級のロードバイクに乗る
・仕事はしない(仕事はしない!)
・飛行機のファーストクラスに乗りまくる
・なんならプライベートジェットを買ってしまう

なにこの…幼稚な発想は…

でも、想像するのは明らかに「楽しゅうて止まらん」時間だった。かれこれ20分ぐらい考えていた気がする。

だがしかし。

夢が楽しいほど、現実とのギャップに絶望する。

そんなことを思いながら昨日は眠りについた。だから、こんな夜中に目が覚めてしまったのだろう、と思う。

目が覚めてまっさきに思ったこと。

「あと10年もすれば、人生の折り返しか」

そのフレーズが頭によぎったとたん、不安と焦りが猛ダッシュで自分のところにやってきた(こっそり来てくれればいいのに)。

でもおかしなもので、ある意味ぼくはこの不安と焦りを歓迎していた。時間の価値が今になってわかった気がしたからだ。人は痛い目を見ないと学ばないんだなぁ。

あと半分の人生。もう半分しかない人生。たった半分しかない人生。

ぼくは何をしたら死ぬときに後悔しないのか。その答えはみえない。

だけど、ひとつわかるのは「自分の人生に向き合わなきゃ、絶対に後悔する」ということだ。

誰かに言われて何かする。世間の流行に反応してなにかする。そうやって、流されていくと、いつのまにか「望まない自分」が完成されている。

誰かが後悔しない道に導いてくれるわけじゃない。自分で考えて、自由と責任を持って行動しないと悔いのない人生は生まれない。自分で選んだ人生が成功するか失敗するかはわからない。でも、

他人に操作された人生には後悔しか待っていない。

もしかしたら、自分で選んだ人生には成功とか失敗とか、そういう概念すらないのかもしれない。その人生の道中こそ、「楽しゅうて仕方ない」のかもしれない。

失敗したらどうしようとか、そんなことは考えなくていい。「やらない」の先には失敗しかないのだから、やった方がお得に決まってる。

自分の人生、自分の時間に真摯に向き合おう。何かをするとき、自分が後悔しない方を選ぼう。


さて、自分の人生展望に興奮したぼくは再び眠れるのだろうか…。

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