第2章 ストリートアートとBlack Lives Matter運動

2.1 ニューヨーク市におけるストリートアートの認識

ストリートアートは英語でGraffitiと呼ばれ、建物の外壁や公共物にスプレー缶などで違法に描かれる落書きのことを指す。街におけるストリートアートの存在は、その違法性から該当エリアの治安レベルとよく結び付けられる。知らない地域に行った際にストリートアートが多く目に入ってくれば、なんとなく治安が心配になり胸騒ぎがする経験をしたことがある人もいるのではないだろうか。
ニューヨーク市でのストリートアートの発生も、治安悪化に関連している。ブラックカルチュラルセンターとなった「ハーレム」という地域だが、黒人の流入によってハーレム・ルネサンスが起こるまでは、イタリア系のマフィア が支配していたエリア であった。その勢力は、黒人人口の増加によってやがてブラックのギャングコミュニティに譲られることとなる。第二次世界大戦後の世界恐慌による失業や困窮といった情勢とも合わさってハーレムでは犯罪が増加、20世紀半ばにかけて様々な闇営業やギャングの街としても知られることとなった。
ニューヨーク市のストリートアートはワシントン・ハイツという地域で1970年ごろに見られるようになった が、ここはハーレムのすぐ北部に位置している。つまり、ワシントン・ハイツは近所であるハーレムの無法的影響を大きく受けた結果、ストリートアートが発生するに値する環境を十分に有していたのではないかと推察できる。実際にこの地域は当時、北アメリカで2番目に大きな違法ドラッグ市場としても知られている (最大の市場はハーレムとされていた)。
そういった経緯から、マンハッタン北部のギャング地域を発祥とするニューヨーク式ストリートアートは、ニックネームと居住するストリート番号を合わせたTAKI 183 に代表されるような、オリジナルの「タグ」をできるだけ多く町中に描く行為(タギング)に始まった。やがてタギングはニューヨーク市中に広まり、アーティストそれぞれがより名を馳せるために、「移動するキャンバス」としての地下鉄車両にまで描きこむようになる 。また、タグのオリジナリティで周りのアーティストと差をつけるために、Bubble LetterngやWild Styleといった派手なスタイルが誕生した。
そうしてニューヨーク市はストリートアートであふれる街となったわけであるが、派手なタグの輻輳はアーティストのオリジナリティを埋もれさせる。そこで、FLINT… やSAMO といったアーティストが、デザイン性ではなく皮肉やポエム的フレーズを利用することよって鑑賞者の注意を引くようなタグを始めた。それまでは、いわば自分の縄張りを示す利己的行為としてのタギングであったが、こうしたアーティストの新たな発想によって、タギングという落書き行為は他者へのメッセージ性を帯びるようになった。前述の通り、ストリートアートは街をキャンバスとしているため、当然その地域の住人の目に止まることとなる。中でもメッセージ性の強いものは話題を生むこととなり、やがて、新聞やマスメディアに取り上げられることになる。そういった経緯で、落書きに込められたメッセージが(どういう形であれ)拡散されるとすると、それはストリートアーティストの「勝ち」であり、一種の芸術としての地位確立でもある。地域格差・貧困による治安悪化を可視化するかのような「いたずら」としてのストリートアートが、こうした流れを経て、小さな声を社会に届ける「メディア」として作用するものとして認知されるようになってきた。

以下の項では、ニューヨーク市での前述の背景から「メディア」としての役割を認められたストリートアートの、2020年Black Lives Matter運動での実例を紹介する。

2.2 ベニヤ板ストリートアート@マンハッタン ソーホー

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写真1 ソーホーにある婦人服店「Maje」とベニヤ板ストリートアート
(撮影: Laylah Amatullah Barrayn 出典: The New York Times https://static01.nyt.com/images/2020/06/22/opinion/22Lakin4/22Lakin4-superJumbo.jpg?quality=90&auto=webp )

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