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不自由のテキサス

自分のSNSからはほとんどその痕跡を消したけれど、18から21になる前までテキサスにいた。

テキサスは想像通りマジでカウボーイがいて、果てしない平地にコピペしたような都市計画がある。家の形は3種類くらいしかなくて、それらが変わりばんこに並ぶ住宅街を抜ければ、終わりない空がすっぽり包むもと、意味不明にでかい施設が等間隔に設置されている。車がなきゃなんもできないし、車があっても特別いく場所もない。テキサスに通う私を見る教授に「絶対つまんない都市でしょ」とか言われたりして、たしかにそれを全く否定できないくらいにつまんなかった。


あの土地は家族でぬくぬく生きる場所で、正直一人で踏み入っていい場所では無いと思う。


整然としすぎて不気味なほどの都市計画の中で人々の生活がただ画一化している。みんな年は取れど同じ生活を何年も何年も繰り返す。日本のように地震があるわけじゃないから建物や道路がぶち壊れることもないので、生活パターンもそれに則りぶち壊れない。

変化を知らないが故に誰も変化を求めていない。むしろ変化を恐れている者も多い。

移民で苦労したであろう親の金を啜りながら、高校卒業後に入る2年制の職業訓練校の卒入学を繰り返す実家暮らし無職のアラサーが山ほどいる。

まさにアメリカだ。アメリカってNYやカリフォルニアの一部以外は大体これらしい。あんなでかい国の9割はつまんないもので構成されてる。


当時の私はあそこでガチガチに体系化されたものがあることを知らなくて、18のアジア人女が一人で飛び込んでもなんとかなる受け入れられると思ってた。

21までなんやかんやいたんだから(今更だが私のいう「いた」は身体的な意味ではなくて精神的な意味も含む。 日本にいながら心がそこに「いた」時期も含む。)受け入れられてはいたんだろうけど、最終的には、私の移り気なエネルギーが、テキサス、というかアメリカが許す「自由」の許容範囲を超えてしまった。同じパターンで生活する人々に自由な生活を唱えたら、怪訝な顔をされて最終的にこちらが狂人と見なされた。気付けば縁が切れた。自由の国だなんてよく言うよ全く。


ここまでボロクソに言ったが、それでもテキサスの生活は嫌いじゃなかった。でなきゃ3年弱もいない。

周りが芝生で無意味に整備された直線の歩道、そこを慣れないスケボーに乗ってたら普通に下手で芝生に突っ込んで泥だらけになったこと。

深夜にガソスタに行って体に悪そうな色の炭酸ドリンクを買って普通に腹壊したこと。

向こうの家族が用意してくれたhu tieu xaoが絶品で気に入ったと伝えると、行くたびに毎回同じものを用意してくれていたこと。

周りに何もない平坦な土地を割く空港まで続く片道5車線のバカでかいフリーウェイを、朝5時前の朝焼けに涙を浮かべながらかっ飛ばしたこと。


その時誰が居たとかは関係なくて、私個人の経験としてどれもリアルで人間的で若くて楽しかった。アメリカ独特の近代的なつまんなさのおかげで、外国人の私はそのつまんなさの制限がある中での生活を異と捉えられて謳歌できた。私の本拠地はやはり日本にあって、帰る場所がテキサスじゃないからよかった。


定期的に生活をぶち壊したい私にとっては合わない土地だから今は全然未練はないし、もう2度と行くことはないと思っている。

けれど、もしいつか降り立った時にはきっと泣くと思うな。

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