第3章 2020年ニューヨーク市に応答するラップミュージック

3.1 社会に直接届けるブラックの声としてのラップミュージック

Hip Hopと言われれば、まず音楽ジャンルであるラップミュージックを想像する者も多いだろう。そのラップミュージックの起源はニューヨーク市ブロンクス区南部にあるとされている 。
ブロンクス区はニューヨーク市の5行政区の中でも最も貧しい地域として知られている。その理由はハーレムと同様で、ブロンクス区は元々ヨーロッパ系ギャングが蔓延っていた地域であり、その治安悪化により当時多くの物件が余っていたことと、「アフリカ系アメリカ人の大移動」のタイミングの合致により、エリアに黒人が増えると同時に裏社会権力が黒人に移されたことにある 。
差別の歴史だけでなく、その土地のギャング文化や人口増加による労働機会の限定とも相まって、苦しい生活を余儀されなくなった黒人たちに怒りやフラストレーションが溜まる。それの吐口として誕生したのがラップミュージックである。それまでのメロディーに乗せて美しく歌う音楽とは打って変わって、その酷い実情や苦しい感情を羅列するライムは、多くの人々の関心を引いた。そうして、ラップミュージックはニューヨーク市発ストリート文化として瞬く間に全世界に広まった。
特に、2009年に発足したアメリカ初の黒人大統領となったバラク・オバマ(Barack Obama)大統領による政権のもとで、マイノリティとされる様々なコミュニティやサブカルチャーが2010年代に一気に注目を浴びることとなった。Apple MusicやSpotifyといった音楽ストリーミングサービスも手伝って、2017年には音楽ジャンルとしてのHip Hop及びR&Bが、白人男性優位とされたRockを初めて抜いてアメリカナンバーワンジャンルとして確立された 。
メインストリームで、ラップミュージックは着実に大衆文化としての地位を築いてきたのと同時に、現在も残るブラックに対する抑圧に、アメリカ世間、特にラップミュージックの支持層に多いアメリカの若者が音楽を通じて気付き始めた。2015年に2016年大統領選にドナルド・トランプ(Donald Trump)が出馬表明をすると、彼の人種及び性別差別的発言が取り立たされ、マイノリティコミュニティは大きく反発した。このあたりから、Black Lives Matter運動が若者を中心に活発化した。
テキサス州ヒューストン出身の黒人女性R&Bシンガーであるビヨンセ(Beyoncé)が2016年に発表した「Formation」は、そうした運動と親和し様々な反応を呼んだ。「Formation」は黒人女性としてのアメリカでの生きづらさを歌詞中で表しただけでなく、MVでは水中に沈み行くパトロールカーの上で質素な服にナチュラルなカールヘアで歌うビヨンセ自身や、警察官に立ち向かう武装した黒人少年が映されている 。本楽曲は運動支持者に大きく響いたと同時に、警官や保安官の反感を買うこととなった。
ラップミュージックでは、2015年にリリースされた、西海岸出身のラッパー、ケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)による「Alright」がPolice Brutality抗議デモで唱えられる定番ソングとなった。以下にその歌詞を一部紹介する。

Wouldn't you know
We been hurt, been down before
Nigga , when our pride was low
Lookin' at the world like, "Where do we go?"
Nigga, and we hate po-po
Wanna kill us dead in the street fo sho'
Nigga, I'm at the preacher's door
My knees gettin' weak, and my gun might blow
But we gon' be alright
〈“Alright – Kendrick Lamar” (Genius)より一部引用〉

「Alright」では、黒人の長年にわたる社会での抑圧や、Police Brutalityについて生々しく表現されているだけでなく、黒人一個人として、生きづらい社会で自身や同胞を鼓舞しながら生きていくラマーの姿勢が主観的に描かれている。こうした音楽を支持する層は、現在のBlack Lives Matter運動の規模からもわかるように、「Alright」の歌詞がフィクションなしの現実を表していることを理解している。教科書で習う外郭的な黒人差別歴史よりも、ラップミュージックという大衆的フォーマットで、かつ個人経験を織り交ぜた「今そこにある黒人の悲痛な声」は、若者の関心を大きく引くこととなった。「Alight」を含むアルバム「To Pimp A Butterfly」はラマーを、2016年第58回グラミー賞において11部門にノミネート(ラップミュージシャンとして過去最多)、5部門を受賞へと導いた 。こうした経緯から、政治的音楽としてのラップミュージックの存在感がメインストリームで大きく知れ渡ることとなった。


3.2 ラッパーの時事問題への素早い反応

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