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ルーマニア 銀河鉄道と六つの出逢い 


1989年 民衆の手でベルリンの壁が崩壊するのを、私はTVの前で釘付けになって見ていた。未来を民衆が自ら勝ち取る。
その姿は力強く新しい希望に満ちていた。

東欧の民主化はルーマニアにも波及し革命がおこり民主化が進む。
そして21世紀をまたいで私はルーマニアに足を踏み入れたが国内は高失業率と経済成長の停滞、インフレーションなど課題が山積し、外国人にとって快適とは言えない状況下で私は一人、ブラショフの街にいた。

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ブラショフは小説ドラキュラの城のモデルとなったブラン城がある観光地だ。小説のイメージとは程遠い好感のもてるおだやかな街から隣国のハンガリーへ向かう日が、試練の日となった。

その日、朝の特急で国境を越えハンガリーの首都ブダペストに入国する予定で駅の行先掲示板で出発番線を確認し、ホームに向かっていると、一人の小柄な初老のポーターが片言の英語で話しかけてきた。
「マダム、どちらまで?」
「ブダペスト」
「じゃ、国際列車はこっちだよ」
酒焼けした赤い顔のポーターが、朝から酒臭い息で私の荷物をもつと、勝手に別のホームに向かおうとする。
私は彼の手から荷物をとりかえし自分で確認した掲示板の番線のホームに向かった。
ポーターは私の前後にまとわりついて必死で訴えかける。
「マダム、ブダペスト行きの列車はこっちだよ」
私はそれを無視してポーターにチップをわたすと停車していた列車に乗った。
列車は静かに動き出しても、彼はまだ追いかけてきて何か伝えようとしている。

やれやれ朝から慌ただしい目にあってしまったと一息ついていると、杖をついた一人の足の悪い少年が私の前に立った。
そして聖母マリアの描かれたカードを差しだす。その頃のルーマニアでは列車のなかで子供が物を売る光景がよく見られた。いつもは応じないがもうルーマニアを離れるのだ。
手持ちの小銭は国境を超えると両替もできないので無用になる。私は持っていた小銭と少額紙幣をかき集めて少年にさしだす。
すると少年は少し驚いて聖人カードを全て渡して走り去っていった。

そこへ検札の車掌が入ってきて、車内に緊張が走る。
当時のルーマニア国鉄は公務員である彼らの給与は滞ることから汚職が横行しガイドブックにも列車の旅のトラブル事例が数多く寄せられていた。
私は切符を検札官にさしだすと彼は表情を変えずに尋ねた。
「行先はどちらですか?」
「ブダペストです」
「残念だがこの列車は、ルーマニアのブカレストへ向かっている。どうやら間違ったようですね」
血の気が引いた。ポーターが言っていたことが正しかったのだ。

ブダペスト(Budapest)とブカレスト(Bukarest)
 
非常によく似た地名でありながら違う国の首都の距離は840Km離れている。
たった一文字読み間違えたことで、私は数日前にいた首都ブカレストに引き返していたのだった。
列車の連結部分へ連行される私を見て他の乗客たちは目をそらす。
この先どうなるか? 私は旅行者の投稿で知っていた。無銭乗車の罪として罰金を払わされるのだ。しかも検察官の言い値で……
案の上、私にいくら持ち合わせているかと聞いてきた。
用心して現金を数か所に分けて隠していたが、ルーマニア通貨は使い果たしていたので、財布から「これだけ」と20ドル札を見せる。
検札がそれを抜き取ろうとすると聖人カードが床に落ちた。
「お前は優しい女だな」と意外なことをいうと検札官は不思議な提案をしてきた。
「この20ドルをお前と二人で分けようと思うのが、どうだ?」
本来、それは私のお金……。と言いたかったが黙ってうなづくと、10ドル札を受け取って、次に停車した小さな駅で、荷物と一緒に降ろされた。

森の中にある駅の周辺には小さな駅舎が一つあるだけで、駅舎をのぞくと若い女性が一人留守番しながら雑誌を読んでいた。ほかに駅員の姿はない。
窓をたたいて彼女に切符を買うのにドルは使えるかと聞くと、現地通貨しか使えないという。クレジットカードも一瞥しただけで首を横にふる。もちろんATMなどあるはずもなく
切符を手に入れることができない。

しかも戻る列車は21時までこない。10時間もそこで待たなければならないことになる。
そこは近くの町まで車で20分もかかるおそろしく退屈な場所だった。
通信手段もお金もなかったが、それでもなんとしてもブダペストへ向かわなければならない。こんなところで夜は越せない。

窓口の女性と仲良くしようと試みるがとりつくしまもないほど愛想がなかった。
彼女はやすりでネイルを整えたり、よほどこだわりがあるのか、時間さえあれば鏡ばかりみて化粧の仕上がりをチェックしている。

私はスーツケースから化粧ポーチを取り出して窓口に近づいた。
「ほら、これジャポニア(日本)の化粧品」
そう言って、私は窓口に化粧品を並べた。彼女の長いまつげに縁どられた目が輝くのがわかった。日本の化粧品は当時から世界一の品質だ。
訪問販売員のように、私はファンデーションの肌触りの滑らかさを試してもらい、均一なブラシのマスカラを見せ、パッケージの美しいリップケースをくりだして発色の良い紅を見せた。彼女が嬉しそうに触っていいかと聞いてくる。
「どうぞ、どうぞ」私は彼女に化粧品をさしだした。
「切符を手配してくれるなら……欲しい化粧品をさし上げますよ。」
そう申し出ると彼女はあっさりと白紙の切符を取り出して、乗り過ごしたブダペスト行きの切符を一旦払い戻し、夜行寝台列車でブダペストまで乗り継げる乗車券を手配してくれた。
そして気に入った化粧品を手元に残して、まるで何事もなかったように窓を閉めて看板を下ろした。

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誰もいない駅とは名ばかりのホームで一人、いつ来るかわからない列車を待つことほど
心細いことはない。
陽が落ちると周りのうっそうとした森は墨をおとしたように真っ暗になる。鼻をつままれてもわからない暗闇が広がる。
幸いにも日が落ちる前に駅舎に隣接した小さな食堂が開店し、かすかな灯りと人の話す気配が聞こえてくるのが唯一の慰めだ。

空腹を覚えて、手探りでスーツケースからポテトチップスを取り出し音をたてて食べた。

すると真っ暗な森の向こうからたしかに何か動くものがいる。こっちをうかがっている生き物の気配を感じる。
狐かフクロウか、最悪は狼。食べ物の臭いにつられてきたのだろうか。
私と闇の向こうの何かが見つめあい一定の距離を保っている。
急にそこがブラン城から遠くはなれていないことを思い出し、ドラキュラ公が殺害した兵士たちの悪霊ではないかと背筋の凍る妄想にとらわれる。

線路をはさんで濃厚な闇を見つめていると、時間の観念も失われていく。
どれだけ時間がたっただろうか。疲れて猛烈な眠気が襲う。

遠くから細い光が射し、だんだんと辺りを照らしながら近づいてくる。
夜明けのようにあたたかな光に包まれた。それは列車だった。
エンジン音をとどろかせながら、全身をつつむ光の輪はなんて温かいのだろう。
それはまるでアニメでみた銀河鉄道そのものだった。

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国際特急の2等は6人掛けのコンパートメントになっていて、すでに子連れの農夫の家族が5人のスペースに7人が乗り込んで、満席になっていた。

私は怒っていた。一等の寝台を予約していたのに交換してもらった切符は二等車に変わっていたからだ。
だまされたと思った。
車内が息苦しいので、廊下にでて窓をあけ流れ込む夜風にあたる。
あと8時間。8時間後にはハンガリーに着く。消灯のぎりぎりまで廊下ですごして世も更けて席に戻った。

その夜、消灯してからもなかなか寝付けないでいると明け方、国境で列車は停車した。
激しいノックとともに入国審査官が2人入ってきて高圧的な口調で「パスポート!」といい、順番に尋問される。ルーマニア語とハンガリー語なので何をいっているか理解できない。
私が日本人であることがわかると、審査官は荷物を開けろと命じた。
戸惑いながら立ち上ろうとした時、農夫と目が合い「動くな」と合図する。
妻は床に寝ていた子供の位置をずらして私の荷物が見えないように隠しているのがわかる。
農夫がここにある荷物は全て自分たちのもので、彼女は何ももっていないと伝えているようだ。そして外国人が一人いるだけで自分たちも迷惑していると審査官に不満を並べながら気をそらしていた。

武骨だと思っていた農夫とその家族が私を守ってくれたのだ。審査官が下車してから農夫に礼をいうと彼らは小さく笑った。

自分をとりまく環境の尺度でしか物事を計れない自分の狭量さに嫌気がさした。
ルーマニア国内では決して手に入らない物を持ちこんでくる外国人。
それを横目で見る彼らの気持ちなど考えたことなど一度もなかった。

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翌朝、午前10:00、列車がブダペストに着く。
駅のホームで同じ列車の一等車に乗っていた外国人から意外な事実を知らされた。
一等寝台は個室だ。出入国審査では持ち物から高価な電子機器が没収されたというのだ。

その時、腑に落ちた。
駅の窓口の女性はこの状況を想定し、あえて一般人の乗る二等車に予約を変えてくれたのではないのか。ガイドブックのトラブル事例のページを見返すと「寝台車で国境を超える場合は、一等ではなく絶対に二等をつかうべし」そう注意書きされていた。

人はゆっくりと成長しない。真実を知ることで劇的に変わることがある。

蝶が卵、幼虫、さなぎ、成虫へ変態するステージで姿形が変ることを完全変態という。
私も出会う人を通してたった1日で物の見方や考え方が変わってしまった。
「知る」「体感」するということは、もう以前の自分に戻れないということだ。

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ブタペストの駅は慌ただしく人があふれていた。
銀行で新しい通貨に両替をすませてから、駅をでる。

新しい街の匂いがする。Caféから漂う焼き立てのパンや香ばしいカフェの匂いが漂ってきて、急激に空腹を覚える。
一旦Caféに入りかけるのをやめて、私は大通りをわたり向かいにある「東京」と書かれた中華料理店へ入った。
そして久しぶりの米となる炒飯とスープを注文する。
運ばれたあたたかい料理を食べ始めると、食欲があふれて喉をつまらせせながら生きることを実感する。DNAに染み付いたうま味を通じて、米のエネルギーがたちまち体中に満ちる。

中国人の店員がお茶を継ぎながら、「ヤパン(日本人)?」と聞いてきた。
スープを飲み干しながらうなずくと、「ここヤパンよく来るよ」そういった。
私は親指をたてて良い店だと答えた。

完全変態を遂げた日本の多くの若者は、きっとこの店に駆け込んだに違いない。
全身に力が満ちてくるのを感じながら店をでた。

そしてまた性懲りもなく新しい未知を探して街を歩きだしていた。

 

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