シトロン MAゆMI

1980年~個人旅行の渡航国は69カ国、その旅を通じて得た経験をいつか旅行記につづるの…

シトロン MAゆMI

1980年~個人旅行の渡航国は69カ国、その旅を通じて得た経験をいつか旅行記につづるのが夢です。 その他にも徒然にエッセイを書いています。旅に興味のある方にお読みいただけると幸いです。

最近の記事

人生、一度きり  ~ ブランクという名の旅 ~

私がこの世で私が一番、恐れるもの、それは地震だ。 地震の揺れを体感すると、阪神淡路大震災を思い出してしまう。 その日、揺れがおさまってからTVをつけた。 2011年3月11日 もうすぐ15時に届く時だった。 東北沿岸部一帯の地図が真っ赤になり震度の大きさを物語っていた。 そしてその後、リアルタイムで見た津波の映像はあまりに痛ましく、その壮絶さは現実離れしていた。 2011年3月11日 もうすぐ15時に届く時だった。 そして私は眠れなくなってしまった。

    • 人生、一度きり

      GO  GO  GO!  GO!!  GO !!! かけ声とともに背中を押しだすような圧力と体重がかかり、両手が飛行機のドアから離れ、踏ん張っていた足が宙に浮いた。 もう何もつかめない。身体全身が大気のなかに放り出される。 落ちた。 ものすごい風圧で全身が押し返されて、打たれるような痛みが身体にはしる。 落ちている。ものすごいスピードだ。 気絶してしまいたい。でも風圧がそれを許さない。 生存本能が働くのか目を閉じることもできない。ゴーグルをつけているのに風

      • ルーマニア 銀河鉄道と六つの出逢い 

        1989年 民衆の手でベルリンの壁が崩壊するのを、私はTVの前で釘付けになって見ていた。未来を民衆が自ら勝ち取る。 その姿は力強く新しい希望に満ちていた。 東欧の民主化はルーマニアにも波及し革命がおこり民主化が進む。 そして21世紀をまたいで私はルーマニアに足を踏み入れたが国内は高失業率と経済成長の停滞、インフレーションなど課題が山積し、外国人にとって快適とは言えない状況下で私は一人、ブラショフの街にいた。 **** ブラショフは小説ドラキュラの城のモデルとなったブラン

        • 「青空を売るおっちゃん」

          2009年2月21日土曜日。 大阪市立美術館で京都の近代日本画家、「橋本関雪とその周辺」の企画展を観る。 その帰り久しぶりに大阪の臍、「新世界」で昼飲みをすることにする。 美術館前の階段をおり、まっすぐのびる歩道橋の右側は天王寺動物園。 そしてその向こうには言わずと知れた大阪のランドマーク、通天閣が立っている。 ある大阪を知る勉強会で、通天閣がパリのエッフェル塔を模して作られたことや、通天閣から伸びる放射線状の路も、パリの凱旋門から広がるエトワール(放射線状)にヒントを得

        人生、一度きり  ~ ブランクという名の旅 ~