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自分自身を「プチ再生」 セカンドライフを愉しむ ~60歳からの人生のキャリア~ 

定期的に自分の生き方 思考の在り方を見直すのは、悪いことではないと思っています。
それを行なうことで、自分が一旦立ち止まりRe-bone させる いわゆるプチ断食ならぬ プチ再生を行なっています。

今日は この考えを自分自身への戒めとしたいと思います。

夏が来ると「冬がいい」と言う
冬が来ると「夏がいい」と言う

太ると「痩せたい」と言い
痩せると「太りたい」と言う

忙しいと「暇になりたい」と言い
暇になると「忙しい方がいい」と言う

自分に都合のいい人は「善い人だ」と言い
自分に都合が悪くなると「悪い人だ」と言う

借りた傘も 雨が上がれば邪魔になる
金を持てば 古びた女房が邪魔になる
所帯を持てば 親さえも邪魔になる

衣食住は昔に比べりゃ天国だが
上を見て不平不満に明け暮れ
隣を見て愚痴ばかり

どうして自分を見つめないのか
静かに考えてみるがよい
一体自分とは何なのか

親のおかげ
先生のおかげ
世間様のおかげの固まりが自分ではないか
つまらぬ自我妄執を捨てて
得手勝手を慎んだら
世の中はきっと明るくなるだろう

「俺が」、「俺が」を捨てて
「おかげさまで」、「おかげさまで」と暮らしたい

『おかげさま』  上所重助(かみところ しげすけ)

これは、上所重助さんという方が書かれた詩です。

この考え方、禅語で きゃっか-しょうこ【脚下照顧】という言葉に相通じるものがあると感じます。

脚下照顧とは自分の足元をよくよく見よという意味です。もと禅家の語で、他に向かって悟りを追求せず、まず自分の本性をよく見つめよという戒めの言葉ともいわれています。

転じて、自分ではなく他に意識を向けてああだ、こうだと言う前に、まず自分の足元を見て自分はどうなんだ、形だけではなく、まず自分の在り方を見つめなおすべきだと、私自身は理解しています。

▽「脚下」は足元の意。転じて、本来の自分、自分自身。「照顧」は反省し、よく考える、また、よくよく見る意。「照顧脚下しょうこきゃっか」ともいう。
(出典:広辞苑)

一生懸命水かきで水をかいてはいますが、力が伝わらない場面もあります。そうなる理由は、何かおかしいと気づくべき箇所があるという事に他ならないと思います。

人間は、何事も他人と比較して、「ああ、あの人はこうだから、それに比べて自分は」と思いがちです。

自分軸をしっかり持てば、他人のふるまいに惑わされることなく、進んでいけると思います。

という私が、全くできていません。ですから、時々振り返り、まさに脚下照顧する必要があります。まったくお恥ずかしい限りです。


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