ダウンロード

子育ては 自分との闘い

先日、知りあいよりお誘いいただき、こちらへお邪魔しました。

画像1

香葉村先生のお話は、以前ネットでちらっと見たんですが、「子供達を信じる」というフレーズは、僕がFJと出会えたからこそ、常に考えていることとダブります。

先日の東北フォーラムでも「テーマにしたい!」と思い、尊敬する川島ボスにお願いしたのでした。

そんな今回の機会、当日は「俺も勉強してこよう」という、インプット目的で早速会場へ。

向かったのですが…。

ぶっとんだ。

ノート片手に色々メモして勉強してこよう!というつもりでしたが、そんな事忘れてました。それくらい聞き入ってしまった。

子供達の生の声にハートを動かされ、先生の想いにハートを動かされっぱなしの1時間30分。なんか、「何かを得よう」というセコイ気持ちで参加しようとしてた自分が小さく思えてしまいました。

それくらい、グサッと刺さりました。

そこには、僕ら親が自分の事を正当化してついつい忘れてしまう「大事な事」があったから。

それに気付けたから。

一言でいうなれば、本当に行ってよかった。ありきたりですが、それ以外に言葉が見当たりません。

日常で見えなくなること

日々の家事育児。仕事。祖父母との関係。地域との関係。カネ・金・お金…。僕ら親は、日々色々なものに挟まれて、ついつい「子供達」に向き合うことを忘れてしまいがち。

こうした機会を経てもなお、そうです。

でも、家に帰ると「パパ、お帰り!」と娘達が来てくれます。「パパ!これ見て!」と子供達は自分達の事を沢山沢山教えてくれます。

疲れます。自分の時間が欲しいです。何か買えとか言われると、ためらうくらいの稼ぎの自分にもイラッとします。

でも、子供達と向き合う事を諦めたくない。だって、僕にこんなにも向き合ってくれているというのが、嫌でも分かるのに。

だからこそ、「後にしてよ…」と面倒がる自分と、「子供達の話を聞きたい!」という自分が、心の中で闘っています。

そして、それに敗れた時は大体「後にしてよ!」と口にし、子供達の顔が曇ります。そして僕ら親は、それを見て後悔します。

その繰り返し。自分との戦いです。

期間限定の子育てを楽しむ。口で言うのは簡単ですが、こんなにもうまくいかないことだらけ。それを「そうした事すらも楽しもうよ!」ともろ手を上げて口に出来るほど、僕はまだまだ達観できていません。

でも、それでいい。それも仕方ないと思ってます。

僕らも一緒に育つしかないんです。笑顔を忘れず、戦い続けるしかない。

人間だから失敗もある。いつもいつも完璧なんて、無理に決まってる。

それでいいんだと。

だって子供達が求めているのは、「高収入・イケメン・高身長」なパーフェクトヒューマンではなく、「目の前のパパ」なのだから。

だから僕らも目の前のパパとして、今持てるものでぶつかるしかないんです。一緒に笑い合うしか出来ないんです。それが、僕の戦い。子育てという一大プロジェクトに立ち向かうということ。

お金なんて今すぐに100万なんて降ってこないし、明日からいきなりブラッドピットばりにイケメンになんてなれない。今あること以上なんて出来ないけど、それでも子供達をまっすぐ見て「一緒になって笑う」ことは出来るはずなんです。

それすらできない…というのは、もう多分本人の努力を超えた範疇の話。仕事がクソ忙しいのに帰れない…とか。

そういう外の部分は、僕達が変えるから。

そういう気持ちも新たになりました。


そんなとりとめもない文を書いて、今日の更新はお終い。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?