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舞浜サービス業で適応障害・うつ病になった話#2(キャストとしての成長期①)

みなさま、こんばんは。

書き始めて2回目となりますが、1回目の記事に多くの方が目を通して頂き驚いてる次第です。


さて今回はディズニーキャストで成長期を迎えていく話ををしようと思います。
この時期から約10年は充実した日々を過ごしていました。その反面が適応障害・うつ病になるポイントがあるので数回の記事に分けてお話しさせて下さい。
まだ病気の話にはならないの?と思う方もいるかもしれませんが、病を患うまでの過程も知って頂きたいので読んで頂ければ幸いです。


では進めていきましょう!

私は大学卒業後、一般企業への入社、中高等学校の保健体育教師とオリエンタルランドでディズニーキャストとしてフリーターで働くの3つの選択肢がありました。

最終的にディズニーキャストを選びました。
決めては上司からの評価と仲間との信頼感、将来性です。

フリーターだともちろん賃金は時給となり手当もそれほど多くはもらえません。
一人暮らしをしてちょっと遊べるかな程度です。

何故、ディズニーキャストを選んだかというと
「将来」を考えました。
将来考えるなら一般企業でしょ⁉︎と言われそうですが、
評価と信頼に優るものはなかったです。


私は2010年大学卒業後からは勤務形態を変更し、
週5日土曜日曜含むカストーディアルの遅番キャスト
として更新をしました。
また、更新をきっかけに上司からディズニートレーナーにならないかと打診がありました。

これは「将来性が見える」と思ったのです。

ディズニートレーナーはいわゆる従業員教育担当。
新しく入ってきた方へのトレーニングが主で、
その他には…
長期的に働いてる方へのスキルアップトレーニング、
現場での変化に応じた対策
安全衛生や資材管理、労働時間と人員配置
といった係を担当する仕事です。

もっと仕事あるんですけどね…書いちゃうと長いので…

そして、
私はひと返事でディズニートレーナーになりました。

すると、伸び代がすぐさまやってきます!
それはカストーディアルアートの教育及びイベント担当でした。

↑実際の私です

当時はカストーディアルアート(雨の上がりのの水たまりからディズニーキャラクターを描く)というのがサプライズで行われ、ゲストからの評判も良かったです。

因みに、カストーディアルアートには試験があります。
描く為の所用時間、
キャラクターが忠実に表現ができている、
上司からキャラクター毎に許可を取る必要がある
というふうに皆さんにお見せするまでには意外と大変な苦労をしてるんですよ!もちろん不合格になる時も…
パークで見たらその技術の高さをじっくり見て下さいね。

思い出せば…
こんな記事を書いてくださった方もいらっしゃいました。
私のことだったので見つけた時には驚きましたが。

東京ディズニーシー10周年や東京ディズニーランド30周年イベント期間中は雨の日でも特別なバケツを用意し、いろんなところでアートを描いていました。

この時期から同じカストーディアルでも持ち場が違う方々と交流も持つことになりました。
私の社交範囲も広がりそれが自信へと繋がっていくのです。



本題からはそれますが、
ここまでの間に東日本大震災はパークで経験しました。
非常食を配膳、最後のゲストがお帰りになるまでの対応、
その後は休園となり、給料も少なく厳しい時を過ごしたのを今でも覚えています。

舞浜駅や市道も液状化や道路のひび割れとか酷かったです。



今回はちょっと長くなってしまったので一度区切りたいと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございました!


次回は私が更なるチャレンジをしたことについて書こうと思っています。まだまだ健康ですよ!病みません!!笑

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