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富山大空襲と後世

幼い頃から不思議だった事がある。
なんでこんなに近場に戦争の記録があるのにそこまで取り上げないのだろう、と。

小学生の頃(2009か2010年)、国際会議場で富山大空襲展を見に行った。
自分から「行きたい」と言い出し、祖母と行った覚えがある。今思えば体験者の祖母を空襲展に連れて行くという行為はどうかと思うが。
昼頃に行ったので客足はまばらだった。
空襲で大和百貨店以外ペンペン草も生えないような更地になった富山の写真。衝撃的だった。当時としては大和の骨組みが残っていた方が衝撃を受けたが。

帰り際、インタビューを受けた。確かBBTかチューリップテレビだった覚えがある。俺は逃げた。恥ずかしかったから。もちろん後でニュースを見たが放送されなかった。
そして「なんでインタビューを受けるのは自分なんだろう」と。
別に富山県民の子供なら他にいるじゃん。当時は皆興味を持つようなものだと思い「別の場所で他の子に聞けばいいのに」と思った。
今思えば「子供が戦争に興味を持つなんて不思議だ」という気持ちでインタビューをしたのかもしれない。地元のことだから興味を持つのは割と普通では?

そして中学時代、修学旅行で広島に行く事になる。原爆ドーム周りで社会科見学のようなものを行い、被爆者の話を聞き、感想文を書く。
とにかく不思議だった。富山もエゲツない戦術で(外側から囲い込み袋のネズミにするという)潰されたのに、なぜ学校で富山大空襲についてはそこまで触れなかったのか。
戦争という面で見たらこの方がとんでもない事をしていると思う。
広島ならカープやサンフレッチェの試合見た方がよっぽど貴重ではないのか?
もちろん被爆者の事を貶すつもりはない。広島が一番被害を受けているし、自分自身も悲惨さと思いを文章には出来た。もちろん戦争の記録は残すべきだし。
広島県民の方よりも富山の人に怒りを覚えた。わざわざ広島に来てする事か?と。修学旅行で。目的はなんだ?戦争の悲惨さなら身近にあるだろ?

8月2日は夏休みだから、という理由もあるかもしれない。だからそこまで教育にいれない。おかしいよな。今も昔も思う。
やるんだったら小学校で毎年近場へ行き感想文書かせた方がいいような。

あのインタビューを受けた時のモヤモヤが今でも残っている。
結局の所教育での戦争の伝え方は「戦争の悲惨さを伝える事をやっている感」を出しているだけな気がする。
あの展示会を見に行った十数年前より戦争を体験した人は減っている。
「もしあの時話を聞いておけば、後世へもっと記録を残せたかもしれないのに……」となるかもしれない。
もちろん富山以外もそうだ。47都道府県全て空襲を喰らってるし、変な所に防空壕があったりする。
後世へ戦争の悲惨さを残すためには身近な物から伝える方が効果がある気がする。
「あ、ここ焼かれたんだ」って。

富山では毎年8月2日に花火が打ち上がる。
カップルや家族連れ、写真家、子供達。色々いる。しかし自分が見る花火は少し違う気がする。
今年もどんな思いをして花火を見るのだろう。

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