見出し画像

”「してあげた」と思わない。”のフレーズにドキッと。

今朝は、松浦弥太郎さんの新刊の「お守りのことば」の一つのフレーズをご紹介したいと思います。

104.「してあげた」と思わない。
親切も、気づかいも、手伝いも、すべては自分の意思でやったことです。
(中略)
「してあげた」ことは一つもありません。したくて自分がしたのです。  

松浦弥太郎著 大切に抱きしめたい「お守りのことば」(2024年)

今回はこのフレーズに自分がドキッとして、残さないとと早朝から書いてます笑
これは以前少し書いた、自分の責任というところにも繋がってくると思います。また、昨晩書いた内容にも。


してあげたと思わない。これは初めて聞いた言葉ではないです。
むしろ、父からは「させていただいている」と思いなさいと、一時期口酸っぱく言われました。
そのことをこのフレーズで再度、「覚えているか!」といわれた気分に😂

「してあげた」という思考になると、見返りを求める行為・発言になると個人的には考えていて、日々の会話でも気を付けてはいます。

でも形骸化というか、口が「させていただいている」と言う・思うようにセッティングされたように最近感じていました。
それは、休息期間中でまだ社会の輪に完全に入っていないからかもしれません。主に話すのは、同居人、いわゆる恋人だけなので。。。

口だけにならないためにはどうしたらいいか。
私の答えは、じっくり考えることです。今の世の中考えすぎはよくないと言われるし、私の担当カウンセラーの先生にも言われます。

しかし、考えること、すなわち自分が納得して買い物を行うように、日々人に接する時も自分事に考える。
そうすれば、自ずと視野が変わるのかなと思っています。

今は私がそれを実行できているのは、主に恋人だけです。
恋人にするのは、そんなの当たり前と思われるかもしれませんが、日々起きてみないと体調がわからないという私にとっては継続してできる唯一の相手かと思っています。

もう少し先になればその範囲を広げていきたいともちろん思っています。
でもまずは一番の身近な人から。
自分事と考え、何をしたいか今後も考えていきたいと思います。


読んでいただきありがとうございました。
また、お待ちしております。













この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?