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映画『万引き家族』

ネタバレあり。

タイトルからして、ちょっと陰の香り。

陰は、いつも日を受ける部分とそうでない部分の大きな隔たり、距離から生まれる。

・単純に、普通の暮らしと貧困の距離

・順風満帆な生き方とドロップアウトとの距離

・夫婦と、虐待されている子供との距離

・家族と、家出した子供との距離

・家族の中での、お互いの距離

・母親と娘の距離

・子供と大人の距離

・捨てられた妻と新しい妻あるいはその家族との距離

・祖母と、義理の孫との距離

・捨てる、と、拾う、の違い?

・本名とニックネームとの距離

・家庭内での自学と学校で学ぶことの距離

映画は、一見平和な社会のあちらこちらに潜む、これら様々な距離を、切なくも優しい映像で静かに写しとる。そして、もしかすると、万引きという行為は、そういう、社会にポッカリと穴のように存在する距離を、そっと優しく補填する行為では無いか、とさえ思わせてくる。

そう、ここに登場する人々は限りなく優しい。できることなら、この生活が長く続きますように…

しかし、繊細極まりない優しさほど、脆いものも無い。

男は、どんなに皆に優しくても、本当の意味では父にはなれなかった。少女を、実の母親よりも遥かに心から愛していても、女はどうしても母親にはなれなかった。

・男と、「父」という役割との距離

・女と、「母」という役割との距離

それでも、「本物の家族」と「寄せ集めの、でも本物の絆のある家族もどき」と、何が違うというのか。その二つにどんな距離があるというのか。

母親に虐待されてもなお母親を慕う子供が、お腹をすかせ、賃貸住宅のバルコニー越しに眺める万引き家族との距離。そこでお互いが見据えたものはなんだったのか。

一見、平和に見えもする現代社会に潜む、これらの距離の数々に、打ちのめされながら、それを埋めていく優しさに癒されながら、しかし、映画はそんな感情に流されない。

主人公の女性は、自らの前に横たわる距離をしかと見据えることを決意する。

そして、子供のように可愛がってきた少年にも、彼にとっての現実を提示する。

それは、心地よかったこれまでの偽の家族としての距離を崩壊させることでもあり、また、自分で新しい家族、生活と向き合うために、自分で世界との距離を測っていくスタートを切ることでもあった。

家族とは本来どうあるべきか、そんな野暮なことは問わなくても良いだろう。

ただ、今の時代に、子供達がしっかりと未来を生き抜いていくために、何かしらの形で、肌の温もりのする絆を体験し、社会の様々な局面に潜む距離を越えていく力を育んでいくこと。

ありふれた街中のシーンが多いが、だからこそ、普段我々の住む、ちょっと殺風景で様々な距離に満ち満ちたこの街のあちこちにも、きっと、暖かい絆と優しさが溢れており、それが、あの純粋な目をした子供達の未来を形作る。

そう信じたい。


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