誕生日を知らない超ブラック企業勤めの青年が慶應義塾大学への進学を目指した話 ⑦

ダイキ君は自分が行うべき方向性がはっきりしたことでさらにやる気が満ち溢れているように見える。しかし不安そうな顔を浮かべ、帰ろうとする私を呼び止めた。

「このカリキュラムをこなせば六大学に受かりますよね?」

「受かるよ(少なくともどこかには必ず)。だから頑張っていこう。」

「3か月で受かりますか?」

「はっきり言おうか。不可能です。絶対に無理。何故なら、このカリキュラムを達成するにはどう少なく見繕っても3000時間は必要だからね。早慶レベルに合格するのに必要な勉強時間(合格点をとるのに必要な知識を習得するのに要する時間)は高校3年間で4200時間といわれています。しかもこれは高校受験を突破した一般的な受験生の場合ね。君の場合、はっきりいって国語力、読解スピードが一般的な高校生の水準に全く達していない。この状態からのスタートは正直相当厳しいと思うよ。それにひと月って720時間しかないわけで、受験まで全部計上しても2200時間しかないんだよ。一般的な中学3年生に3か月でこのレベルの大学に受から出来る人なんていないよ。」

ここまではっきり伝える必要はなかったかもしれないが、正直に現状と目標とするところへの乖離を教えておかないと無駄に期待を持たせて不合格という絶望感を味わせるよりは事前に認識させておく必要があったため、あえて厳しい口調になってしまった。

しかしダイキ君は顔を近づけながら期待に込めた目を向けてくる

「それでも先生ならいけるんでしょ?」

「絶対にむーり」

「実はーーー・・・ありますよね?」

「ない!!」

このやり取りを数回繰り返した。

漫才のような掛け合いを行っているといつの間にか帰宅時間となった。顔合わせをしていた喫茶店が閉店時間となったので、お会計を済ませ、外に出る。

「時間がきてしまったからもう帰らなきゃいけないけれど、今後どうするかに関しては保護者さんと話し合って連絡してください。」

「わかりました。今日はありがとうございました。また連絡します!」

彼はそのまま自転車に跨り帰宅していった。

帰りの電車に飛び乗ると、今日あったことと今後の方針に関するメモをまとめて対策を練るようにした。ヒアリングの場ではダイキ君に伝えなかったが、どう冷静に考えても1年や2年で達成できる内容ではない。その理由として、彼が置かれている状況が一般的な受験生とは違いすぎるという点だ。普通の学生であれば学校での授業時間で7時間、18時に帰宅したとして6時間は時間をとれる(健康的な生活リズムを維持するために24時には仮眠したとする)ため、1日あたり13時間は勉強時間が確保できる。その為1年間毎日このリズムで勉強した場合において、4000時間を費やすことが可能になる。しかし所謂普通の受験生とは置かれている状況が異なる彼が3000時間の勉強時間を確保するのは不可能である。何故なら生活をかけたアルバイトを行っているため、1日に確保できる勉強時間が3時間(前出)しかないのだ。これでは少なくとも1000日(4000時間とすると1333日)必要となる。つまり最低でも3年弱、現実的にみると合格水準に達するまでに要する日数は少なくとも3年半という計算だ。

この残酷な現実について、ここまで具体的に話すかどうかについて非常に悩んでいた。彼とその家族が目指しているのはあくまでも翌年2月の入試での合格であり、3年後のことではないからだ。このことを正面から向き合って話しておく必要があるなと思いつつ長い一日が終わった。

この時、私はまだ気が付いていなかった、自分が生きていた世界がいかに恵まれていたということ、そして世の中には自分の理解を超える発想する人間がいるということに。

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