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和食器の伝統文化に還る ー 反「規格品」運動としてのDishApp

公式アカウントが始まる前、現段階だからこそ、陶芸家と料理研究家のクリエイター・コミュニティサイト「DishApp」を、どうやったらユーザー様に正しくお伝えできるのかを、毎日真剣に模索してます。

そんな時、深大寺陶芸教室の師匠の馬場さんに、DishAppの企画趣旨を説明をしたら、次のようなコメントをいただきました。

「昨今の洋食器ブームで失われた、正当なうつわ文化の復権になりそうだね」

この評価、とても深い洞察だと思いました。


DishAppの志

確かに、言われてみれば、DishAppの志は、現在の海外生産の格安規格品ばかりの食器の販売スキームとは真反対なんですよ。
その分、この趣旨をすんなりと理解いただけないことが多いのです。
うつわ流通のDX? 食器のレンタルプラットフォーム??

カタカナが入れば入るほど、なんか怪しげに伝わりかねないので、とても不安になっています。

我々が志す本質は、とても真摯なものだと信じています。

・食器は規格品ではない、一点モノを大事にしたい

・うつわの作り手と使い手を販売店を通さず、直接結びつけたい
 その二人は、料理を通して、志を同じくする同志だから

・うつわは作り手が所有する。使い手はその伴走者になる
 うつわの価格は、協働で高め合う

・料理はうつわに盛りつけることで、食することができる
 「盛り付け」とは、クリエイター同士の協働作業

・骨董と同じく、モノを大事にして、人から人に手渡ししたい
 時代を渡って、価値を高めていくうつわ文化を守りたい

・多少の「欠け」も、その皿の魅力と見たい
 時間を旅する「うつわ」の定めを、「美」として見出したい

・うつわが割れても、簡単に捨てたくない。
 「金継で再生する」という日本の文化を世界に発信したい

などなど。

これらは、日本のうつわ文化の復権であり、うつわのクリエイターに主導権を取り戻そうという「運動」または「革命」なので、その本質を師匠のように、自分の言葉で「再表現」してもらえると、とてもうれしいです。

日本古来の正当なうつわ文化の復権


そう言われてみれば、このDishAppのコンセプトは「和食器の伝統回帰」なのだと実感しました。

そもそも、和食器は、すべてが「一点モノ」であり、不揃いで、ひとつひとつが個性的なものだったのです。

たとえ、ロクロで成型した一連のシリーズもの(素人目には同一性が強い)だとしても、それぞれのうつわで、それぞれの存在としての「個性」があるのです。

加えて、釉薬のかけ方、焼きの具合で、それこそ天候や温度湿度によって、その個性がさらに多様になっていくのが、「日本の食器」の在り方でした。

いまのように、同じ規格の、同一の「揃い」を、異常に求める傾向は、こうした長いうつわ文化を通じて考えれば、ここ最近の「ブーム」であり、こうした歴史からすれば、その同一性を求める志向こそが「異常」です。

うつわの個性の中には、器ごとの欠けや、ピンホール、ひび、釉薬の加減の違いなども入るわけで、機能的に「盛り付け」に影響がなければ、それ自体も「個性」として受け入れる「寛容さ」が常に使用者側に求めれていたわけです。

どころか、歴史的な名品を鑑賞すればわかることですが、「不揃い」、「へうげ」「無骨」こそが「美」である、というのが、私たち日本人の美意識であったのです。

それなのに、現在では、少しでも割れたり、欠けたりしているものは「商品」として無価値になり、釉薬のかかり方もロボット的な無個性なハンコ形式が「良くて」、不揃いなものは「汚い・劣った」ものと単純に判断しがちです。

要するに「わかりやすいモノ」だけが価値を持つという、とても「幼稚な食器選び」になってしまったのです。
これは、とても残念な「美意識の退化」と言えないでしょうか。

師匠は、これらの伝統を守り、常に高い審美眼で、うつわに芸術性を求めてきた「茶道」ですら、最近はこうした規格品を好む傾向があると言って、嘆いておられました。

数十人の生徒さんを同時に教えているなど、現在の茶道の在り方ならでは、それなりのご苦労があるとは思いますが、同じ形、同じ印刷の茶道具で、お茶をたてても、同一の美の感性は磨かれるにしても、多様なものから「美」をかぎ分ける、その場に相応しい「美」を自分の眼力で見出す感性は磨かれないと思います。
画一的な審美眼だけでは、ある程度のレベルで止まってしまう気がします。

数多くのうつわの個性を、季節と客人とに組み合わせ、「その場」を演出する「場の総合演出」として発展してきた茶道、その日本伝統の審美眼を守っていきたいですよね。

ことは、茶道だけでなく、日々の食器選びにも関わります。

テーブルウェアとしての統一性はもちろん理解できます。様式化された現代日本人が西洋から学ぶことはまだまだあると思います。

しかし、そのうえで、不揃いなうつわのなかに、リズムを見出し、それを絶妙に配列することで、新たな「美」をつくっていくこと。統一と崩し、破調の美を見出していく。
これこそが、「海外文化の融合」をその旨としてきた日本人らしい「審美眼」だと思うのです。

こうした文化発信には時間がかかると思いますが、うつわブームを一過性のもので終わらせず、「うつわ文化」として根太いものに育て、時代を渡りながら、受け継いでいくものにしたいのです。

師匠のロクロ実演が直接見れる機会


こんな大事な指摘をして、私たちに大きな気付きをくれる師匠が、イベント陶器市でロクロの実演を見せてくれます。

3月3-4日、深大寺陶芸教室あおぞら陶器市、ぜひ来てください!


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