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今日、妻がナンパされました

最近、妻は綺麗になるために努力しています。本当にいろんな運動や美容法で努力をしており、写真などの客観的に見てもとても綺麗になっていると思います。

今日、妻が1人で出かけた時に、男性に声をかけられて困ったとの話を聞きました。その話を聞いて色々学べ・反省することがあったので、書き留めたいと思います。

僕のために綺麗になっているのではない

よく勘違いしてしまうんですが、妻は僕のために綺麗にしているわけではないんです。自分は当たり前のように考えてしまうのですが、妻が綺麗になるのは夫のためと自然に考えしまうこと自体が問題だと気づきました。

先の話に戻りますが、妻は昔からよくナンパされます。サラリーマン風の方に声をかけられているところを見たり、自分と電話をしている時に声をかけられたりしていました。
当時の自分は「知らない人から綺麗だと思われているなら、問題ないのではないか。むしろ喜ぶべきではないか。」と思っていました。
また、「そんなに嫌なら自衛をする必要があるのでは?」とも考えていました。

これが問題がある大きな偏見だと気付かされました。

男性視点での女性観の問題

まず、1つ「女性は声をかけられて喜んでいる」「女性に声をかけない方が失礼」というのは、男性視点での女性観ということです。つまり、女性が綺麗であれば男性は評価すべきであるし、女性は男性に好かれるために綺麗になっているという非常に男性中心の考え方が前提にあるからです。

この問題は、それで喜んでいる女性もいるはず、実際に喜んでいる女性もいるという話ではなく、真には女性軽視が隠れていることだということです。

マスキュリニティという言葉がありますが、男性は強く在らないといけない、女性を守らないといけない、女性より上にたたないといけないというなどなどあくまでも視点が男性側でしかみれていないことが問題だと感じました。

これで一番恥ずかしいのは、自分は差別意識を持っていないと信じきっていたことです。自分は平等に物事を見ることができているというのはあくまでも男性視点で見た自分しか見れていなかったのに気づき恥ずかしくなりました。

女性に自衛を求めることへの問題

自分の身は自分で守るしかないという考え方は、社会的にも当たり前の考え方になっています。だから、家には鍵を閉めるしセキュリティをつけるし、車にも鍵を閉めます。その考え方自体は、とても大事だと思います。

結局は法律があっても、被害を受けそうな時には誰も守ってくれないので先に自衛をすることはとても大事だと思います。

なので、女性に自衛を求めることは自分の中では当たり前のように感じていました。そんなに声かけられるのが嫌なのであれば目立たない格好をすればいいのでは?とか男性受けする格好をしなければ自然と声をかけられないのでは?など考えていました。

しかし、この考え方は非常に人権意識が低いことものだと気づきました。

男性側が変えていこうなど!などではなく、単純に女性の権利を侵害しているのです。この発想が自然にでてしまうこと自体が、権利意識の希薄さを表しています。

自衛の発想というのは加害者側の責任を軽くし、被害者側にも責任があるようにしてしまう危険な発想です。

自然発生的に自衛を求めてしまうことの自分の人権意識の低さに愕然としてしまいました。

終わりに

このような話は妻とは何回もしており、その度に「そういうことをしない男性もいるじゃん」や「男性全員が悪いかのように言わないで」とよく言ってました。しかし、問題なのは自分が攻撃されていると思いこむこと立場が違う人を理解しようとしないことだと教えてもらいました。

「じゃあ妻はナンパされないためにはどうなったらいいのだろうか?」

その疑問が残ったので、まずは自分が立場の違う人を知るために下の本を読もうと思います。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。



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