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「大麻の社会学」要約③

【第4章 ドラッグ戦争と政治ーゲートウェイと新保守主義】

  • アメリカでは、大麻が若者文化として広く知られるようになった1960年代末から「ドラッグ戦争」と呼ばれる麻薬取引と使用者への厳しい摘発政策が取られ、2000年代まで影響が続いた。

  • 1970年に制定された規制物質法で、大麻は化学的な見解が定まるまでの措置として、最も厳しいスケジュールⅠに位置付けられた。その2年後、「大麻の有害性と刑罰に関する諮問委員会」は、大麻は精神医学的な懸念は否定できないが、ヘロインやモルヒネとは異なるドラッグで、社会に与える影響はより軽微だと結論づけ、非犯罪化を推奨する勧告を出した。しかし、政権からは無視され位置付けは変わらなかった。

  • 大麻はその時代の政権により「ドロップアウトと反秩序のシンボル」「ゲートウェイドラッグ」などとして大衆社会の敵とされた。ドラッグ戦争の開始後、男性の刑務所収容率は5倍となり、大麻に限っても2倍となった。初犯で執行猶予が付与されたとしても逮捕歴が残るため、社会的に受ける影響は大きく、特に黒人や貧困地域で多くの摘発が行われたことから、階層再生産を固定化させた。

【第5章 日本での大麻の変遷ー近代帝国主義から戦後の道程】

  • 日本では古来から大麻は繊維用途で用いられ(印度大麻草など医療用途は普及せず)、大日本帝国期には国家神道と結びついて神聖な植物とされ、神宮大麻(お札)として全戸配布されたこともあった。

  • 戦後も日本ではドラッグとしての大麻は知られていなかったが、アヘンやコカとともに反麻薬の政策として、大麻取締法が導入された。60年代になるとジャズやヒッピー文化とともに大麻の喫煙が知られるようになり、70年代には芸能人の「大麻汚染」が報道された。この頃は雑誌や新聞において大麻喫煙を擁護する記事も一部見られたが、取締りについての社会的論争には発展しなかった。

  • 80年代以降は、アメリカの「ジャスト・セイ・ノー」と歩調を合わせる形で「ダメ。ゼッタイ。」キャンペーンが展開され、報道機関も大麻を「麻薬の一種」と扱い芸能人スキャンダルを盛んに報じ、その認識が大麻に対する「国民の常識」として固定化された。その後、大麻による逮捕者は微増を続け、アメリカより小規模ではあるが、ドラッグ戦争が展開されてきている。

要約④へ続きます


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