無意味なサブカルの無意味な挑発
思うんだけどさ、こういう事する意味あんのか?って。
「立ち読みして買わんやつは○ね!」なんていう暴力性を匂わせる挑発をする意味がどこにある?そんな事したらおいらみたいなキチガイが本気にして「やんのかコラァ!」って怒鳴り込んでくるだけやん。こういうサブカルの尖り方っていやーな気持ちにさせられるしいつまで90年代の鬼畜サブカルの時代のつもりなんだろう?と頭が痛くなる。
そもそもサブカルチャーというのはもっと視野が広くて多彩でマニアック過ぎて他者をドン引きさせたりしないバランス感覚の上になりたつ高尚な物であり、それがいつの間に他者をレッテル貼りしたり無意味に挑発したりする小洒落たつもりのいけ好かない奴らっていう風にして「サブカル」という蔑称が岡田斗司夫によって定義付けられたわけじゃない。あの人は明確にオタクの敵としてスケボーしたりグラフィティを描いたりブレイクダンスをしたりする90年代の人間を「欧米文化の猿真似をする薄っぺらいサブカル」と定義し、そしてオタクというのは日本の古典芸能に根ざした物事を深く読み取る力を持った純日本人的エリートとしても定義づけ「オタクは素晴らしい」と言った。しかしそれは岡田斗司夫のしたたかな戦略だった。これからオタクの時代が来ると見込んで自分の業界内の立ち位置を確保し利権を得るという。
おいらもかつてはてなダイヤリーをやっていた頃に「このサブカル野郎!」と罵られたことがある。おいらはサブカルを自称した事など一度もないし90年代の頃には「オタク」と言われていた。その時代時代によって貼られるレッテルがオタクだったりサブカルだったり、まあ自分の気に食わないやつにはとにかく何かのレッテルを貼っておけという発想自体が浅はかで愚かだと思うんだ。
しかしサブカルの方もサブカルの方でオタクを敵視し、薄っぺらくてデタラメな知識で他者にマウントしたり、このヴィレッジヴァンガードみたいに無意味に尖ってみせたりする。何度も言うがそこに意味はあるのか?一円の得にもならんやん。そういう行為が無意味どころかマイナスであると誰も言わないのか?何故自分からマイナスの領域に足を踏み入れるのか?そういう振る舞いがカッコいいなんて寒々しい。そんなんは30年近く昔に終わった事や。
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