写真を"撮った"のは、
ども。うめちゃんです。
「久しぶりにnote書いてるやん!え??カメラ紹介ちゃうん???」と思いの方、ご名答です。笑
ちと、思ったことが長々となってしまうのでnoteにでも書こうかな〜、という次第です。
あ、カメラ紹介はまたやります!多分。笑
さてさて。突然ですが「私が」好きな写真の内、数枚を載せます。
いやぁ、、良い。誠に素晴らしい。好き。
勿論、自分が好きなシーンをフレームに収めているので、そりゃ高確率で好みの写真となるわけです。笑
それを差し引いても、、尊い写真たちや、、(うっとり)
前置きはこのあたりにして。
上記の写真たち、全てフイルムカメラで撮影しています。
(カメラやフイルムの情報を載せてもいいのですが、情報による「心のフィルター」をかけてほしくないため、敢えて載せていません)
ここに掲載している写真は計3台のフイルムカメラを使用していますが、その他にも色んなフイルムカメラで撮影しています。
そんなカメラで撮影した写真。今まではそれを見て、
「おおっ!"自分"ええ写真撮ってるやん!!」
と、"自分"の撮影技術や感覚が上達していることに喜びを感じていました。
しかし。
その写真を「撮った」のは、本当に"私"なのでしょうか?
「いやいやうめちゃん、何言ってんねん。あんたが撮ったんやろ?」
と思われる方。ある意味正解です。
このnoteに載せている写真は勿論、色んなフイルムカメラで撮影した写真、それらは全て「著作権」は"私"です。
ただ、そのシーンがフイルムに焼き付けられるまでに"私"が行ったことは、
1、撮りたいシーンに目星をつける
2、ピントを合わせ、シャッタースピード・絞りを調整し適正露出に調整する
3、フイルムの巻き上げ、チャージを行う
4、「今だ!」と思った瞬間にシャッターを切る
だけなんです。
つまり、"私"は「色々設定してシャッターを切った」だけであって、実際に「撮影した」のは他でもない"カメラ"なんです。
描写力の違い、ボケ感の違い、コントラストの違い、、更にフレアやゴーストの出方などは、完全に"カメラ"に依存しています。
(ここで言う"カメラ"はレンズも含みます。)
そして"カメラ"が優秀であればあるほど、撮影者である"私"が未熟者でもある程度上記1〜4の「手順」ができれば、なかなか素敵な写真が出来上がります。
そう思ったとき、私は大きな「可能性」を発見しました。
「もしかして、"私"は"カメラ"の技術力に非常に助けられてるのではないか?」
そうです。時々聞く、
「本当は"カメラ"が凄いだけなのに、"自分"が凄い、と勘違いしてしまう」
現象に遅ばせながら気が付いたのです。
勿論、手順1、4は特に"私"のセンスや経験が必要です。
センスが無いと印象に残るシーンが発見しづらくなりますし、経験が無いと思い描いている「最終的な写真の完成図」が予想しづらくなります。
"私"の場合、それらはある程度身についています。
なので「"私"は下手ではない」とは、自覚しています。
ただやっぱり、実際にフイルムに像を焼き付けるのは"カメラ"なので、その能力が群を抜いて実力があると、実はイマイチな写真でも「とても美しく撮れてる!!」とある種の「勘違い」をしてしまいます。
上記写真に然り、その他の自分が「シャッターを切った」写真で好みな写真に然り。
「凄い」のは"カメラ"であって、"私"では無いのです。
それを自覚した時から、私は写真に対して「自分凄いなぁ!」とは思えなくなりました。
「自分の実力は、実は大半が"カメラ"の能力で、"私"の特異性は何も無いのではないか?」
と、写真を見返す度に思うようになりました。
"私"の写真、とも思えなくなりました。
"あのカメラ"の写真、と感じるようになりました。
"私"の、写真としての「個性」は一体どこにあるんやろう、、
と、何とも言えない虚無感に苛まれています。
まあ、、そんなこんなでちとぐだぐだな状態ですが、私の現状はそんな感じです。
カメラや写真を愛しすぎる余り?、自分の実力や個性がわからなくなったうめちゃんでした。
「うめちゃん、ええやん!」と思っていただけたらサポートしてくれると飛び跳ねて喜びます!!!思っていなくてもサポートしてくれると泣いて喜びます!!!(笑)