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完全同居の私の変わった、義母に対する気持ち

ららみぃたんさんが、企画されている「一元観エピソード」。
思い当たることが、ちょうど投稿されたそのタイミングでやってきたので、参加しようと思います。

あえて言うことにする。

私はたぶん我慢強いほうだと思う。

だから、大丈夫だと思った。

義両親との完全同居。


だけど、甘かった。


こんなに義両親との同居が、しんどいだなんて思いもしなかった。


主人は、曾祖母(義母からすると義祖母)のいる家で生まれ、生活をともにし、田舎で、そういう家が身近だったから、それが当たり前で何とも思わなかったのだろう。

だから、私の辛さを分かろうとも思わなかった。

歳をとるにつれ、いろいろ分かってきたみたいだけど。

だけどね、最初に言った主人の言葉は、当たってた。


俺に言われても仕方ないやん。
あんなん何言うても変わるわけないやん。


いま、ブチブチと両親のこと言ってる君に、そのまま返してやりたいよ。

今は時々、いろんな意味で、思いを共感しているけど。

そんな私が、ここまでくるのに、随分と義母とのことで思い悩んだ。

嫁いできた当時、随分と歓迎されるのかと思いきや、私が家事や仕事を一生懸命すればするほど、すぐ傍から何かと注意された。

多少、不器用といえども、そんなに落ち度はなかったと思う。

それでも落ち度があるように言うので、ズボラな性格を直すべく、きっちりと何でもかんでもしようと心がけたり、義母の言うことは取り入れたりもしたけど、次から次へと苦言や小言が多かった。

随分後から気付いた。

今になってはそう思う。

それほどもきっちりとしている人なのかと当時は思ったけれど、ちっともそんなことはない、負けず嫌いの義母は、間違えた方法で、私に勝とうとしていたことを。


結婚してから数年は、何ひとつ言い返さなかったけど、自分の身は自分で守らなきゃ!と、ある日、言い返したら、そこから攻撃は少なくなった。

「何も言い返さないヨメ」と思われているうちは、猛攻撃だった。

口で攻撃することは少なくなった代わりに、妙なやり方で私を阻むものだから、思い悩んだ。

その頃、「同居 うまくいく方法」「嫁姑」「完全同居 こつ」など、ネットでよく検索したものだ。

そのなかに、「姑を『宇宙人』だと思うこと」というアドバイスがあった。

そのアドバイスに、「ケッ!(苦笑)」だなんて思ったものだ。


宇宙人👽だなんて思えるわけないじゃん。


それが、私の本音だった。

だけど、ある日、前にも揉めた私がやめてほしいことを、義母がまたもや平気でしていた。

私のイライラは最高潮に達しようとしていた。

そこで、また、感情に任せてキツイことを言ってしまいそうだった。

この人は、何をどう言っても、私の言うことは理解できない・・・。


この人は宇宙人・・・うちゅうじん・・・ウチュウジン・・・👾


必死になって、怒りを鎮めようとしていた私。
あの、アドバイスを思い出してのとっさの行動だった。


そのうち、信じられないことに、義母のことが宇宙人に見えてきた・・・!

無理もない。こちらの言葉が通じないんだから。


それは、もう随分前のことだが、それから私は、それなりに義母のことを冷静に対処できるようになった・・・気がする。

義母のことを、「宇宙人」として受け入れることが出来たのはその頃。

私は「こういう人」、そして、義母は「そういう人」なのだ。

夫である主人とは距離を縮めることはできても、義母とはそう距離は縮まらない。

夫とは「夫婦」で、お互い思いやることができても、義母とは「嫁姑」。

私が遠慮して一歩引いた態度で接しても、基本、自分のことで精いっぱいで、お構いなしで接してくる義母とは、距離が縮まることはないのだ。

だけど、「そういう人」。

そう受け入れて、幾年も年月を重ねた。

その間、何もなかったわけではない。

義母とは会話がない代わりに、ほとんどぶつかることはない。

若いころのように、主人に必要以上に愚痴をこぼし、義母のことで喧嘩はしなくなった。

相変わらず、イライラすることもある。

基本、義母は何も変わっていないのだから。

強いていうなら、何をするにも自信なさげ・・・。

歳をとったせいか、少し弱くなったような・・・。

私が、何をどうイジワルされても、仕事も家事も淡々とやってのけるから、勝ち目がなくなったと気づいたようにも見える。

努力して出来るようになった私に、姑は何も言えないはずだ。

私は仕事をしながら、義母ができない家事を全部こなしていく。

ルーティーンをこなすのが苦手な義母には、家事は無理だ。

それに、たくさんの兄妹に、ある意味守られてきた義母と、私はちがう。

今もなお、用事がなくても仲の良い姉妹と電話でやり取りし、時には会いにでかける。

義母の兄妹のなかには、こちらのことを嫌っている人間もいるという。

一度は、末っ子の主人だけを連れて帰ったこともあるという。

義母は「可哀そうに」と、兄妹に共感されたとも言っていた。

私には、いちばん辛い時に寄り添ってくれる人も、いちばん悔しい時に共感してくれる人も、いちばん寂しいときにほっとできる場所もなかった代わりに、言い訳や自分を弁護する言葉も見つからず、ただ努力するしかなかった。

時代は義母のほうが厳しかったのかもしれないけど、状況は私のほうがたぶんしんどかった。


だから、家事や仕事に関して、義母からするとぐうの音も出ないはずだ。

私からすると、義母のやることヒトツヒトツは、どこかしら甘い。

それは、主人も指摘することがあるくらいに。

主人の曾祖母には随分きついことを言われたとか言っていたけど、私からすると言われるスキが十分にあるように思う。


それでも、時々おかしなことをする。


私は最近、自分の中で、義母に対する気持ちが変わっていくのを感じる。


それは、この先の自分の姿かもしれない・・・・。


そう思うとゾッとした。

将来の自分の姿を重ね合わせて見えたのは、初めてだった。

ある意味、反発心からくる、義母の行動かもしれないけど、それは昔からのものだし、周囲の人間にとっては気持ちの良いものではない。

これが実の親だったら、他の感情が勝って、そう冷静にその姿を見ることができないのかもしれない。

血の通った親と、他人の親の違いだろうか。

その姿を見せてくれる義母が、私のこの先の人生の指針を見せる「教科書」のように思える。

老人と365日、生活をともにしたことのない私にとって、その姿はある意味「新鮮」だ。

そう思えると、『感謝』の念に堪えない。

義母の姿を通して何か大事なことを、教えてもらい、学んでいる気がする。

私がはじめて義母に対して、「感謝」を感じた瞬間だった。

義姉や主人からも「ズレている」と称される義母に、いちばん「感謝」しているのは、意外にも、実の子よりも私の方かもしれない。

義母にどんな形であれ、「感謝」の気持ちを抱くことなんて、予想もしていなかったけれど、こんなに早くその日がくるとは思いもしなかった。

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