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兄弟は仲が良いほうがいいに決まってるという私の幻想

兄弟の距離感は近ければ近いほど、別の問題がでてきて、それはそれで、大変なのかもしれない。

兄弟に限らない。

人間関係は、すべてほどよい距離感が必要なのかもしれない。

だけど、私自身が他の兄弟と関りがないからだろうか。

兄弟は仲がよいほうがいいに決まってる

・・・という幻想をもっている。

「幻想」というのは、もちろん今は、疎遠だから。

7月は、身内の誕生日が多い。

私の2つ下の弟、5つ下の妹もそう。

娘も義母もそうだ。


今回は、そんな弟や妹のことを書いてみようとおもう。


私が小学校入学と同時に、実家は大阪にあったが、それまで住んでいた町を離れ、となりの市の新興住宅地へと引っ越すことになった。

家の前には、公園。

まだ開拓されて間がない新興住宅地で、皆ほとんど同時期に越してきた。

夏休みの公園でのラジオ体操は、子供たちでいっぱいだった。

そんな小学生時代は、私たち兄弟3人は、普通だったと思う。

そう、私が高学年くらいになるまでは。

それまでは、兄弟3人含め、近所の同年代の子供たちと遊んだり、家でも兄弟3人で遊んだりする普通の関係だった。

私が小学校3,4年生くらいに、家族で少し離れた公園へ遊びに行ったときの、兄弟3人で写る写真。

父が写真を撮るのは珍しかったが、私の手元にある兄弟3人で写る唯一の写真だ。

状況が一転したのは、その後のこと。

専業主婦の母は、パート勤めを父に反対されて、時間が有り余っていたからだろうか。

育児書を読みあさっていたのを覚えている。

母のギューッと上から押さえつけるような言い方が悪かったのだろう。

育児書を読んで、生真面目な母はマニュアル通りの育児をしようとしていたのだと思う。

当時小学生高学年の弟は、大きく反抗した。

台所は、弟が反抗して投げて割れた食器が散乱していた。

父は見て見ぬふりだった。

いつも母の権限が強かった印象が強い。

大人しい父は、仕事だけをしていた。

母はその頃から体調を崩し、寝込むようになった。

体調が思わしくないから、余計に苛立っていたのだろうか。

弟が自分の思い通りにいかないと分かると、その牙は私の方へ向けられた。

私は、反抗はするものの結局は母の言いなりに動いた。

弟の顔色をうかがう代わりに、私へのアタリはきつくなった。

兄弟で扱いを差別したり、私のことを他の兄弟のまえで卑しめた言い方をした。


どうして、あなたは・・・

弟や妹はできているのになぜ・・・


2つ下の弟の暴力は、私にまで及んだので、極力弟との接触は避けるようにした。

小学生高学年くらいのあいだから、昨年の父の葬儀のときまで、口を利いた覚えがない。

葬儀の時に、会話をして少しは、普通の兄弟関係に戻れる可能性を垣間見た気がしたが、やはりダメだった。


5つ下の妹はわたしからすると、可愛かった。

母もそんな妹は可愛かったみたいで、扱いはまるで違い、寝室まで妹と一緒にした。

「お姉ちゃん・・・」とついてきていた妹は、その頃から徐々に私を見下し、中学生になるころには、「友達に見られたら恥ずかしい」存在になった。

私が実家と関係を疎遠にしたこともあって、益々妹とも疎遠になったが、結婚して、なおも母にべったりの妹のことを心配した。

同じ女性として、「嫁いだ身」として立場を考えた場合の常識もそうだけど、それ以上に母と一緒にいる危険性は、私が重々に知っている。


心身が脅かされる可能性も秘めているくらいに、危険だ。


とうとう、弟、妹夫婦までも連れてきて、和歌山へ帰ってきたと聞いて、母に妹の携帯番号を聞き出そうと試みたこともあるが、私のたくらみを察知したのか、教えてくれなかった。


自分の人生を歩みなさい


と、姉として言ってあげたかった。

逃げた立場の姉が、言える立場にないのは分かっているけれど。


母とは近居の身だった妹は、そのうち、子供たちの通学に便利だからと、子供たちと一緒に、母の家に身を寄せていると聞いた。

離婚しているわけではなく、家にはご主人がひとり住んでいるようだけど。

母と妹の距離感が近くなれば近くなるほど、姉として妹との距離感を縮める気力は失せた。

何度か話す機会があったが、姉妹として感情が交わることはもうないかなと感じた。

妹はいつも母親寄りだったから。

数年前に、祖母の家で会話した時には、身体の自由が利かなくなった母の傍でいる妹はげんなりした様子だった。


思った通りだ。


もちろん、「ひと言」では処理できない位の苦労や感情があるのは想像できるが、実家と疎遠にした私も、母と共にいる妹も、自分で決めた人生だ。

母の傍にいる独身の弟もそう。

自分で決めた人生だ。


ある意味、母が弟や妹の人生を狂わせたのかもしれないが、私は知っている。

母の傍にいると、甘い蜜もそれなりにあることを。

それに、母は弟や妹に、私に向けるほどの感情のむき出しかたはしない。

手元に置いておきたいから。

そんな弟や妹と、もう兄弟として交わることはないだろうな。


そんな私が、息子と娘を生み、育てる過程で、気を付けたことがある。


母の育児を反面教師にすること。


息子と娘は、異性の兄弟だということもあって、そうべったりはしない。

だけど、成人を越えてもなお、普通におしゃべりをする。

娘が家に帰ってくるときは、お迎えを買って出てくれる息子。


親としては、もうそれで十分。

歳をとって、最後まで兄妹として交わることができたら、もうそれは最高。

同じ母体から生を受けた、世界中でたった二人の兄妹だものね。


私にはそれは無理だった。

だけど、せっかくだから、この場で言おう!

弟よ、妹よ、お誕生日おめでとう!

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