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写真は人生をものがたる

両親の第一子として迎えられた私は、ふんだんに両親の愛情を受けたと思われる。

実家には、数えきれない位の私の写真が、乱雑に置かれていた。

だけど、父がカメラを頻繁に握ったのは、私が小学校入学までと思われる。
それ以降の写真の数は、段々と減っていった。

私の小学校入学を機に、新居へ引っ越したが、父の仕事は激務で帰りはいつも遅かった。

母はひとり家庭で三人の子育てに追われていた。
まだ週休二日制が取り入れられていなかった、その頃の時代を象徴しているかもしれないが、新居の近くで、弟、妹と一緒に写ったその時のことは覚えている。

実家から持ってきた写真の中で、唯一兄弟そろって写ったものだ。
兄弟で撮った写真は、これが最後と記憶している。

小学校の運動会へは両親揃って毎回顔を出してくれていたので、その時の写真があるものの、だんだんと途絶えていった。


一方で、母の体調がすぐれない時期がつづき、家庭の中は雑然とし、弟と私の仲は険悪で、その後父の葬儀まで、数十年もの会話のない日が続くこととなる。

母はいつも機嫌が悪くて、反抗期がひどかった弟を咎めることなく、かと言って父も家庭を顧みる余裕がなかったので、私へ不満を全部ぶつけるようにしてあたった。


その家庭にして、写真などあり得ないのだ。

その頃の私は、写真に写ることが、大っ嫌いだった。


だから、小学校高学年から、中学、高校の頃の写真はほとんどない。

唯一、近所のおばちゃんに促されて撮った、小学校卒業式での母との写真を見て、夫は言った。

「義母さん、表情が死んでるな。お前もそうやけど」


高校三年の時、気が合った同じクラスの加奈子とは、いくつも旅行へ行って写真を撮った。

私の写真が再び増え始めたのは、この頃から。


短大に入学すると、私はサークルへ「マネージャー希望」で入部した。
男性多数のサークルだった。

併設されている四年制大学の学生も、一緒に活動するそのサークルでは、普段の活動はそっちのけだったが、年に一回「合宿」という名の「交流会」が泊まり込みで行われたので、その時の写真がある。

あと、同学年の仲間とは特に親交を深め、よく一緒に遊び、旅行にも行ったので、その時の写真も残った。


当時好きだった人も一緒に写ったりして、私の表情も心なしか明るい。


サークルとしての活動は活発ではなかったので、マネージャーらしいことはなにヒトツせず、あっという間に二年間はおわったが楽しかった。


就職すると、同じ事業部に配属された同期入社の子たちとも、あちこち旅行へ行った。
事業部全体でも、夏に旅行へ行ったので、他の大勢の社員の方とも写真を撮った。


ここまで、自分が乗り気で撮った写真はほとんどなく、どれも「流れ」で撮ったものだ。

だけど、加奈子との写真は心から楽しんで撮ったし、他の写真の自分の表情からも、少しずつ自分の人生に明るい兆しが見えていたことが伺える。


写真を見てもイヤな感じはしないし、むしろ懐かしくて私と出会ってくれた皆に感謝の気持ちが湧き出る。


結婚式と新婚旅行の写真は、6冊組のBOX型のポケットアルバム1セットもの量に収められている。

新しい生活に希望を見出し、明るい未来が待っていると信じていたことが、若さみなぎる自分の表情からもうかがえる。


子供ができるまでの4年間のあいだは、年に一回の旅行のときだけが唯一の息抜きの時で、その時だけは写真を撮った。

一年間のなかで唯一の休日である旅行では、心身ともに疲れていたはずだが、それでもまだまだ若く勢いがあって、やる気がみなぎっていて、どの写真の夫も私も笑っていた。


子供ができてからは、私の鬱が重なったり、天地がひっくり返るくらいの人生最大の失敗があったりと、人生どん底を味わった時期だったが、カメラを向けられると笑うように努めた。

冴えない笑顔が日常を物語っているが、子供たちのアルバムに残す写真だということを意識して笑うようにした。


私たち夫婦が、子供たちと一緒に写ったのは、保育園くらいまでがピークで、小学生になるとほとんどなくなった。

代わりに、習い事のサッカーで頑張る子供たちの姿にレンズを向けることが多くなった。

小学生の頃から高校生のころまでは、サッカーを頑張る子供たちの写真でいっぱいになった。

夫婦で撮ることは、めっきり少なくなった。
子供たち兄妹で、撮ることも少なくなった。


7年前のこと。
当時カメラを向けるのが趣味だった義兄が、私たち夫婦にレンズを向けた時戸惑ったが、私は笑顔を残すことにした。


夫婦で写る写真は久しぶりで、これが最後かもしれないと思ったから。


夫も戸惑い気味の笑顔だが、めったにそうない夫婦の写真を、なかなかよく撮ってくれていた。

義父がカメラを向けるのが好きだったこともあって、10年ほど前に旅行先で夫婦そろって撮った写真があるのを、先日数ある中から見つけたが、実両親は、私たち兄弟が生まれたその時と、新婚旅行の写真しかなかったことを記憶している。


いつかはどちらかが先に亡くなり、離ればなれになる夫婦の歴史を、写真に残しておきたい。

そう思って、2年ほど前、娘の下宿先で用事を済ませて帰ってくるときに、意を決して夫に写真を撮ろうと誘った。


今のところ、それが私たち夫婦で撮った最後の写真だ。


一方で、子供たちに再びレンズを向けたのは、子供たちの成人式や大学の卒業式だった。

親子で写るのも、もう機会がないのかもしれないと思ったが、それ以上に、仲は悪くない兄妹の写真も残しておきたかった。


幼い頃の兄妹そろっての、それっきりの写真は寂しいよね。とは、あまりにも自分の感情を当てはめすぎかもしれないけど、「仲が悪くない」ともなればなおさらだ。


私たちのアルバムを辿ると、途中は子供たちの写真ばかりだが、さいごは7年前に義兄が撮ってくれた夫婦で笑顔で写っている写真が閉じられている。

2年前に最後に撮った夫婦の写真は、先日、子供たちの写真をフォトブックにしたときに最後に閉じた。

無意識にその写真を選んだが、フォトブックに残さなかったら、どこにも残っていなかったのかもしれない。


写真を辿ると、人生を物語っていることに気付く。

これからどうだろう。何年かたったら、孫や親になった子供たち、祖父母になった私たち夫婦の写真を撮ることがあるのだろうか。

めっきり最近は写真を撮らなくなったけど、写真は増えていくのだろうか。

今のところ、「note」の記事に載せる写真用のみに使用しているスマホに、写真が溜まっていくのだろうか。

用事が済んだら削除して、スマホに写真が溜まらないようにしているけど、最近はデジカメは使用していない。


写真は人生をものがたることでいうと、「note」も同じなのかもしれない。

「note」を始めて、もうすぐ3年半。

それでも、私の生きてきた半世紀を、投影する位のことを書いてきた。

実家の家族。
結婚生活や、義実家との同居。
子供たちや夫とのこと。
仕事の事。

嬉しい事もそうだけど、愚痴を含む感情、本音は、写真には投影されないから、その分「note」の方が、内容が濃縮されているのかもしれない。

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