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勘を信じて動く女

私はもともと「動かない女」だ。

幼き日の自分も、消極的で動かなかった。

親のレールに乗って動いてきただけ。
何をしても否定されたので、必要最低限の決められたことは必ずするけど、それ以外は何もしなかったし、何も考えなかった。

大人になると、ある程度周囲の空気を汲み取って、その時その時に応じた行動をすることが必要になってくるが、それも出来なかった。

それを物語るいちばん分かりやすい例でいうと、来客があったときのお茶出し。

若かりし日、実家で来客はなかったので、お茶でもてなすという行動がとっさに出来なかったし、それが「異文化」とでさえ感じた。

こちらは、義両親が年をとった今では少なくなったが、人付き合いの多い義父を訪ねて実に多くの来客があった。

義母は慣れた手つきで、お茶出しをするが、どこか怪訝そうにいつもこなしていた。

来客があるたびに、しなければならないんだろうなぁと思う私。

嫁として、不合格の烙印を押された気がした。

そのうち、たまたま来ていた義兄の嫁さんに、その役割をとられてしまう私。

若かったといえども、いい年して、もじもじしているうちに時間だけが過ぎていったある日、いつものように薪を運びながら、やっとのことで思い立ったこと。


そうか、間違えてもいいから、動く方がマシなんや!


いつも、自分の思っていることに自信がなくて、行動に移せない自分。
それまでの人生で、自分の意思で動いたのは、必要に迫られて動いた、就職活動と結婚だけだった。

その時も、いわば、自分の嫁としての評価を気にしてのこと。


きっと、何もせん(しない)嫁と思われているんやろな・・・と。

そりゃあそうだ。動かないんだから・・・。

動かな評価もされへんわな・・・。分からへんわな。


動機は不純で、後々自分の首を絞めることにはなったが、私が「動く女」になったきっかけだったので、強烈に覚えている。

意を決して、来客があったときに、義母に「お茶お出ししましょうか」と尋ねると、「コーヒーにして」と言われ、ちょっとへこんだ私。

次の来客の時に、「コーヒー出そうか?」と尋ねると「お茶にして」。

一応、相手の年齢や風格も見て尋ねるようにするも、全部反対・・・。

「どっち出そう?」と聞いて出すことを覚えて、ちょっと賢くなった私。


いまでは、わざわざ聞かないけれど。


その時期を皮切りに、思い立ったことは行動に移さなきゃ意味がないと、実にいろんなことをしてきた。

どれも、嫁として母として妻として、やって当たり前のことばかりだけど。

結果、自分の首を絞めることになったこともある。

風呂焚きや、風呂の水の入れ替えなんかは、もともと夫がやっていた。

仕事の合間にする家事に疲弊して、ブツブツ言うものだから、「私がやったほうがいいかな」と思ってしまった!

思ったからには間髪入れずに行動!とばかりに、夫に「私がやろうか?」と申し出て、それ以来、私の家事は増えた。あ~ぁ・・・。
(だけど、一昨日と、その前の日は、珍しく早めに仕事を切り上げた夫が風呂を焚いてくれてた!除草剤散布の仕事で、早く自分が入りたいからだけどね・・・)

私は思い立ったら、間髪入れずに行動するようにしている。

思った傍から行動しないと、やらない理由を考えちゃうから。

そうして、仕事の流れを変える大きなことから、日常の小さなことまで、いろいろこなしてきた。

私が面倒だと思う家事、ナンバーワンだと思う、洗濯物をたたむこと。
面倒くさがり屋の私は、毎回そのたびごとに畳むようなことはしない。
その代わり、足場の踏み場がなくなりそうなその時、その時はいきなり訪れる。

今のうちに洗濯物たたもうかな・・・。

先日は、お風呂があと10分で焚けるその隙間時間だった。
思ったからには、即行動!とばかりに洗濯物をたたみ終えたが、もし、これが考える隙を与えると「でもなぁ・・・疲れてるしなぁ・・・テレビ見てゆっくり休もうかな・・・」となるのは、目に見えている。

だから、思ったら、動かしたくなくても身体を動かす。

お陰で、足場の踏み場がなくなることは、まぁない(笑)

今日は珍しく5時に目覚めた。

最近は5時半に、目覚めることが多い。
年を重ねたせいか、日光が部屋に差し込むので、年中通して、日光と共に目覚めるようになった。

目覚めたそのとき、「いま起きたらトイレ掃除できるやん!」。
トイレの水掃除は、週1回が目標。それを達成できそう!

と思い立った!
一瞬「あと30ふん(眠りたいな)・・・」と思いそうになったけど、打消し起きることにした。

お陰で目標達成できた!
お風呂のマットを洗うのも思い立ったので、手に取り洗濯することにした。

もし、これが、自分に考えるスキを与えてしまったら・・・。


んー・・・眠たいしな・・・。
あと30分は寝たいわ・・・。ねよう・・・。

トイレマット?!次でいいんちゃう!面倒やし!


今アルバイトさんと共に仕事をしている私は、時間の融通が利かないので、結局何もできなかっただろうし、こうして、「note」の記事を書き進めることもできなかっただろう。


別のことでいえば、「note」のコメント欄もそう。

他のクリエーターさんの記事を読ませて頂いて、「うわぁっ!✨」という感情。湧き立つ感想。思ったこと。 

せっかく記事に対して思うことがあるのに、伝えないで「スキ」だけを押して帰るのはもったいない。

だから、思い立ったら、とりあえずコメントを残すようにしている。

クリエーターさんにどう伝えようか、ヒトツヒトツ文言を並べ、時には手直しをしたうえで、読み手の気持ちになって一度は目を通したうえで、コメントを残す。

最後のさいごで、「だいじょうぶかなぁ」と心配になることがあるけど、「いいやぁっ!アカンかったらアカンかったでそのときや!」と、「エイッ」と、コメントを残す。 

大抵の方は、誠実に返事を下さってホッとするが、その湧き立つ感情はその時だけのものだから、その時を逃すと今度はいつコメントを残せるか分からない。

そこでも考えるスキを入れようものなら、「どうしよう」「こんなコメント残したら相手の方に悪いかも・・・」「ほかにたくさんコメント残していらっしゃる方もいるし・・・」など、コメントを辞める理由を次々と考えて辞めちゃうのは目に見えている。

だから、なるべく考えすぎないようにして、行動に移す。
時には、感情がしぼんじゃって、ひるんで逃げちゃうこともあるけれど。

お陰で、たくさんの方と、コメント交流を楽しませて頂けるようになった。


もともと何も考えずにぼーっとしていて、動かなかった私が、変わったのは紛れもなく、「嫁」としてだったり「母」としてだったり「妻」としての立場がそうさせたのは、間違いない。

だけど、相当考えない人だったので、自分の意思でやろうと思うたつことは、何か意味合いのある、私を突き動かす「勘」に相当すると思えるくらい、大事なことのように思える。

何か意味があるから、思い立つ。

その「勘」を信じて動いて、たいていは、悪くなることはない。

だから、思い立つと、まず思った通り身体を動かすことにしている。

やらない理由を考える前に。


お陰でわたしは、「動く女」になれた。

思い立ったことは、まず動く!
身体が動く限りは、続けることができたらいいな。

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