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人間って正味40歳で大人になるのかもしれない

私が半世紀生きてきたなかで、いちばん「気付き」が多かったのは、30代だった。

20代で、短大新卒就職、4年働いたのちに農家へ嫁ぎ、20代のうちに子供を2人授かり、30代は、育児と家事と仕事に明け暮れた。

生まれ育った環境とは、全くちがう世界へ身を投じたこともあるのかもしれないけど、30代はそれまでの人生で感じたことのない「気付き」が多かった。

原因不明の頭痛からはじまった新婚生活。
結婚と同時にはじまった、義両親との同居。
一大決心して身を投じた農業の世界。
やっとの思いで子供を授かってはじまった育児。

それまで経験したことがないその世界は、私の視野や思考の幅を広げてくれた。

たくさんの「気付き」を30代で得たことに気付いたのは、ちょうど40歳の時だったから、感慨深かった。

もし、私がちがう環境に身を投じていたら、それはそれでその場に応じた「気付き」を得ることになっていたのかもしれない。

今の時代、生き方も多様化しているから、環境を次からつぎへと変えつつつ、人生を繰り広げていらっしゃる方もいるだろうけど、人生の基盤はおよそ30代で決まることが多いのではなかろうか。

20代のうちに就職し、30代で結婚、出産(育児)、その後、女性なら再び就職するのかもしれない。

その環境によって、新たに得た知識や視野は、自分の血となり肉となるが、30代は「気付き」の連続。

まだ「血となり肉となる」段階まで、たどり着いてはいない。

「気付き」が「血となり肉となる」のは、40代からだと思った。
それくらい、30代は忙しいのだ。
新しい環境に慣れたり、「気付く」ことで精いっぱい。

これは、不器用な私だからこそかもしれないが、「20歳で成人」とは一般的に言われるけれど、たいていは「親元」という狭い世界で自立するために育てられ、年齢だけ「成人」に達した状態。

上手に育児された人は、それなりに大人になっているのかもしれないが、まだ未熟。
私のように、自分の意志を無視されつつ育てられてきた人間なんて、人形のようなもので、大人として丸裸なのだ。

いわば、20歳は「大人ゼロ歳」。

40歳ちょうどで、ちょうど大人「成人になって20年」。

私にとって「気づいたことを活かせるのが、これからの人生」と思えた、ちょうど40歳。

自分でタイムリミットを設けることは、邪道かもしれないが、年寄りになると頑固になると、聞いたことがあるがゆえの先入観もあるかもしれないし、義両親や実母を見ていてのことで、「還暦」までが自分を作り上げる期間なのではないかと思う。

ちょうど、「40歳」から数えて二十年で、「還暦」にあたる「60歳」。

干支(十干と十二支の組み合わせ)が一巡し、生まれ年の干支に戻る周期がちょうど60年だという「還暦」は、産まれたときに還る。第二の人生のはじまりとも言われているようだが、一般的に年をとればとるほど柔軟な考えが出来ないようになり、頑固になっていくのは、その年くらいからだと覚悟しておいた方がよいと思うのが私の見解だ。

つい最近のこと。

「年をとればとるほど(性格が)きつくなってる」と自分の両親のことを、なげく主人にむかって、「あら、そう?」というのが私の答えだった。

私にとって「何をいまさら言ってるの?」と。

「あなたの両親は、結婚当時から何も変わってないわよ。あなたが年をとって、余裕がなくなって、うまくかわせなくなっただけのことじゃない?」と。「心身ともにきつくなってきてるのよ」と。

実際、結婚当時は、義両親は還暦手前だった。

結婚後、義両親はからっきし変わることはなかった。

変わったのは私。

私が柔軟になおかつ強くなったことで、ある意味義両親のわたしへの「アタリ」は、変わった(決して優しくなったのではなく、弱くなった)のかもしれないけど、性格は何一つ変わらない。

ただ、そういう義両親を見てきたからといって、タイムリミットを設けて諦めているわけではない。

逆に戒めになっているし、鬱になって、自分がいかに頑固かを思い知ってからは、いかに柔軟な考えをもって生きていけるかが、人生通しての課題だと思っている。

ただ、更年期とも言われる年代に入って、心身ともに衰えを感じる今、意志とは別に頑固になっていくのが、年をとることかもしれないという、危機感は常々持っていた方が防衛策にはなるのだろうかと思っている。


20歳からの20年で成人から大人になる40歳。

成人 心身が発達して一人前になった人。成年に達した人間
大人 成長して一人前になった人
               <<goo 国語辞書より引用>>

40歳から大人として成熟するのに20年かかるとすれば、いま、ど真ん中。

「こどもに『親』にしてもらえた」と実感できたのが、親になって20年ほどたったころ。

「嫁として自信をもっていいのかな」と感じたのが、嫁になって20年ほど。

主人にとって「なくてはならない存在」になれたかなと思えたのも、結婚してから20年たったころ。

気持ちを込めて育てていると、作物と「対話」できるんだと感じたのも、農業をはじめてから20年。

あと、台所の主導権は私のモノよと、遠慮がなくなったのも、皆の食事を、20年ほど作ったからこそ。(時々不意打ちで、義母が台所を使っているときは私が柔軟に。)

人間が成人する20年とおなじくらい、一人前になるには、時間がかかるんじゃないかな。

まだまだそれぞれの項目で、課題は残るにせよ、だいたいは20年ほどで、「一人前」を実感した。

それこそ、不器用な私だから、かかりすぎかもしれないけど(笑)






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