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バイクが趣味の息子が、農家の息子に転じた日

今年の柿採りには、息子は見向きもしなかった。

昨年までは、アルバイトも兼ねて手伝ってくれたが、社会人になった今年は、見向きもしない。

休日になると、大きなバイクにまたがり、高野のほうへと出向く。

こちらはけたたましく忙しいのに、バイクだけは大事に扱う息子が、庭でバイクを洗車していると、その空間だけは時間の流れがちがう。


まるで、「おだやかな休日の昼下がり」・・・だ。(そのままだけど)


それが、時々私たちをいら立たせていた。

だけど、主人は私以上にいら立っていたようだ。

よく考えてね。あなたは確かに若いころから、家を手伝っていたのかもしれないけど、あなたも、息子くらいのときには、ウインドーサーフィンにあけくれてたんでしょ?

と、落ち着くように促した。

私も「育て方を間違えたかしら」と少しイラつくこともあったけど、社会人一年目というと、平日働くことで精いっぱいで、心身ともに疲弊することはわかる。

休日はやすみたい・・・というのが、分かりすぎるくらいに分かるので、何も言わなかった。

もし、息子が農業をするのなら、息子のやりたいタイミングで農業をするべきというのが、私たちの意向だったから、仕事を押し付けたこともない。

主人はというと、農業をやり始めたのが自分が決めたタイミングではなかったこともあって、息子には同じ思いをさせたくなかったようだ。

にもかかわらず、身体がついてこないのか、息子のことをぼやくので、

何も言わずに働く姿を見せるのが親の役目じゃない?

黙って働いているのがいちばんいいのよ。

だなんて言っていた矢先のことだった。

主人が救急車で運ばれたのは。

会社から帰ってきた息子の車で、病院へ向かい、無事手術を終えたのはよかったけど、残された柿採りを思うと途方に暮れるばかりだったが、今回は息子が動いた。

次の日から、私と一緒に「脱渋マニュアル」を見ながら、自ら率先して、脱渋の作業にとりかかり、次の日、会社から帰ると、脱渋を終えた柿を、リフトに乗って動かし、選果(機械で秀品、優品、良品によりわけ、箱詰めすること)できるように、隣りの倉庫へセットしてくれた。

そして、その日、私たちが採った実を、リフトを使って、脱渋庫へおさめ、脱渋の作業にとりかかった。

この4月から社会人となり、勤務先でリフトの運転免許を取り、仕事でリフトを使っているという息子の運転は、主人のように、颯爽とスマートに乗りこなすには程遠いけど、息子がリフトを運転できなかったら、残りの柿は市場へ出すことはできなかった。

最初は、息子もやったことのないことばかりで、主人と携帯でやりとりしながら作業を進めていた。

やりとりを聞いていた私は、傍らで、次の日の荷づめに使う段ボールを折りながら、涙があふれた。

主人のいない中、一日じゅう仕事をし、夕方から段ボールの用意をしたり、脱渋の段取りをするのは、心身ともに疲れた。

嫁いできて、農繁期も定時で仕事を切り上げられるように、仕向けたのは私。

今回の柿採りも、主人のいるあいだは、定時で切り上げることができていたし、ここ何年も遅い時間まで働くだなんてことはなかったから、本音をいうと疲れていた。

だけど、今回はそうは言ってはいられない。

不安と疲れが混じるなか、身体にむち打って段ボールを折っている私の心身に、リフトのエンジンが鳴り響くなか、聞こえてくる主人と息子のやりとりが、すうぅっと入ってきた。

そのやりとりが、私の心身を癒してくれた。

成人した息子が社会人となり、父親である主人と、大人として1対1の対話をしていた。

父である主人はたぶん一抹の不安を感じながらも、息子に全信頼を寄せ、息子に託しているのが、手に取るようにわかる。

なんて嬉しいことなんだろう・・・と。

ちょっとたくましく感じる息子の姿に成長を感じ、うれし涙があふれた。

息子が毎日、会社から帰ってきて、リフトを動かし、仕事をしてくれたおかげで、主人がいない間も、柿を市場へ送り出すことができた。

そうこうするうち、今年さいごの脱渋を終え、次の日、主人は戻ってきた。


今週末、彼はまた、意気揚々とバイク乗りの少年(おっさん?)へ戻った。


私が最後の実をアルバイトささんと、選果するよこで、彼に穏やかな休日の昼下がりが、舞い戻ってきた。

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