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私の思い描いた、農家

良い機会だから、そして、いつかその類いの内容も書こうかなと思っていたので、自分の叶えたい「夢」について書いてみたいと思います。

私が、主人と出会い、農家へ嫁いでくるとき、想像をしました。

農家って、きっと大好きになった人と、同じ目標に向かってお互いを支えながら「夢」を築いていける仕事なんだわと、若いがゆえにキラキラした想いで嫁いできました。

その想いを実感しながら主人と人生を歩んで行くのが、私の「夢」となりました。

ところが、嫁いだ当時は、その夢とはとてもかけ離れていました。

同じ仕事をしながらも、慣れない仕事に、当時は家の中のみならず、畑へ行っても姑が常にそばにして心身ともに疲弊。
姑の意向で休日も「ない」に等しい中、私はただただ慣れるのに必死で、仕事をやらされている状態でした。

一方で主人も、苦しい家の状態に追い回されていることもあって、ピリピリしていて余裕がなく、ただただ疲れていて、仕事に対する不満も抱えていることが多々あり、私たちは畑でよくケンカをしました。

私が、泣きながら、家に帰ったことも何度かあります。

こんなはずじゃなかった・・・

幾度そう思ったか分かりません。私の覚悟のなさを思い知らされました。
それでも、その場に身を置くという選択をした私は必死に仕事をしました。
「長時間働くのが美徳」という義母の価値観に従うしかなかったのです。

そんな私が結婚数年で、心身ともに潰れ、義両親の評価が気にならなくなってから、自分なりの働き方を身につけていくことにしました。

主人が働いていても、週末は休みにしたり、夕方はみんなが働いていても家事をするため、一時間早く切り上げることにしました。

免許を持っていない私が、家路に着くのは、車ではなく田舎の農道を歩いて帰ってきます。
近所の目が最初は気になりました。何人かは、喋りかけてくれました。

おばちゃん、私ほど鈍らな(なまくらな)農家の嫁はいないんです。みんな、まだ畑で仕事してるのに、もう家に帰るんですよ・・・。

誰も責めないのに、何を弁解していたのか分かりませんが、そう近所のおばちゃんへ話しかけたこともあります。

おばちゃんは「いいのよ。それでいいのよ。」と言って下さり、少し拍子抜けしたことを覚えています。

それからの私は、堂々と仕事を早く切り上げ、私のしていることは正しいんだと言い聞かせながら、

いつか、昭和の農家を平成の農家にしてやるわ。私がいなきゃこの家は回らないくらいに、私がこの家を回す!

と心に留めて、「これが叶ったらすごくない?」と誰にも言えなかった夢をそこでまたたてたことを覚えています。

それから、約十年の月日がたちました。

私は、自分の出来る範囲で、ブラック企業並みに働かなくても、この家の仕事が効率よく回す方法を考え、率先して仕事の管理を行い、また、仕事も「義務的」ではなく「自主的」に取り組みました。
もちろん、それまでの、仕事の流れを変える際には主人にも相談しました。

主人も義母も、自然な流れで私の考える効率的なやり方にのってきました。

私が仕事に関することで口にすることは、ポジティブなものへと変わっていきました。
主人も共に、仕事に対する姿勢が変わったのは、多少私の影響もあるのかなと思います。

数年前から、だんだんと義両親が畑を離れることが多くなったいま、夫婦2人で切り盛りしなければならないこともあって、嫁いだ当時に「夢見た農家」が、見えてきた気がします。

畑を広げることが夢だった義父が、ただっ広く畑を大きくしてしまって、手に負えないこともありますが、義父が亡くなるまではこの大きさを守ることが僕の使命だと主人は言います。

私も、主人の夢にのりました。

私が主人に対して思っているように、やっと主人は私のことを「なくてはならない存在」だと認めてくれているように思います。

健康な身体で農業を続けていき、出来たら主人と二人、義両親を見届けてから、少しでもいいから、主人と二人ゆっくりした時間をこの家で過ごせたらどんなに素晴らしいかしら。と主人にも言ったことがありますが、それは、神のみぞ知ることで、叶うかどうか分かりません。

主人が10歳年が上で、微妙なところです。
義母の家系は女の人は長寿・・・のようですし。(うちもそうですが。)

夫婦で時間を共有できるのは、無限ではないと実感する今日この頃です。

主人と助けあいしながら、農業ができる今が一番幸せです。










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