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記憶メッシュ

「もう知ってるかしら...あの頭がすごい良かったあの家の真ん中のお嬢さん、死んじゃったみたいだよ」

自分が資本主義の社会に飲まれていくことに耐えられなかった。「この社会に生きている」そのこと自体が自分がこの社会を肯定しているようで、そんな自分に嫌気がさした。小学生の頃から、優等生だった。他の人より成熟していたのかもしれないし、逆に、未成熟すぎたのかもしれない。勉強はできた。スポーツもできた。ピアノも弾けた。容姿も、周りから告白されることが多いことから、自分はそんなに悪くないと気づいた。でも、他の人が気にならないような些細なことが、ひどくわたしを苦しめた。死にたくなった。人の悲しむ顔を見るだけで、クラスメイトがからかわれているのを見るだけで、彼らの気持ちがあたかも自分の気持ちのようにリンクして、わたしの心を突き抜けて傷だらけにした。だから他人とできるだけ関わらないようにした。自分を守るために。

ある日から、硬貨を使うと、それを使ったであろう、過去の他人の気持ちがフラッシュするようになった。それは今まで以上にわたしを苦しめた。他人の記憶がダイレクトにわたしの心を突き抜けるようになった。仕事帰り、疲れたなと思いながら、コンビニで夕食を買うのにその硬貨を使った記憶、当の本人には些細な気持ちなのに、それはひどくわたしを傷つけた。

だから、わたしは、硬貨を使うのをやめた。カードだったら記憶がフラッシュしないことをいいことに、クレジットカードを多用した。記憶による心のふらつきを消し去るかのように、何度も何度も、意味もなく、買い物を続けた。何を買っても私の心は満たされなかった。買い物中毒だった。幸い借金をするほどではなかったが、給料をわけもないものに、ただただ辛い気持ちを流したい一心で使った。

正直、何でも良かった。将来の夢があった。「社会のためになる仕事」につきたかっ。だから勉強した。すごく勉強した。そんな取り憑かれたように勉強するわた私を両親は心配した。彼らはただ幸せに平穏な将来を過ごして欲しいと、だから無理しないで欲しいとわたしに何度も言い聞かせた。でもわたしは、それじゃ満足できなかった。自分が辛い思いをしながら、自分自身を削りながら勉強することで、やっと自分を肯定できた。そうやって今日までやってきた。

いい大学を出れた。「社会のためになる仕事」と呼ばれるようないい仕事につけた。人並み以上の衣食住を揃えられるだけの給料をもらうこともできた。とても優秀な新人だと持て囃された。でも、そんな自分の存在をいまだとして肯定できなかった。そんな辛い気持ちを消し去るように過食した。そして後悔して、下剤をオーバードースして、激しい腹痛を感じることで、自分を痛め続けた。

ふらっと、もういいやと思った。だから死んでおくことにした。夜中、いつもの道すがらの神社によった。これまでずっと大切に持っていた祖父からもらった赤い糸のついた5円玉を賽銭した。彼の記憶が蘇ってきた。同居していた祖父。いつも姉と妹の世話に忙しい両親に変わって、いつもわたしを気にかけてくれた。彼は彼の部屋で何度も何度も、わたしの下手な将棋に付き合ってくれた。一緒に、大好きな沢庵をつけたこともあった。夏休みの夜には、庭で花火を一緒にやった。楽しかった。あの時は楽しかった。他人の感情に揺さぶられて辛かったのは今と変わらないけど、それでもあの時わたしは幸せだった。彼の記憶も、かわいい孫と遊ぶことが楽しいというとても幸せなものだった。そんな温厚だった祖父も、認知症になってしまってから、人が変わったように、起こりやすくなった。夜中に徘徊もした。目もうつろだった。幻覚症状も始まり、もう会話もまともにできなくなった。海外の大学に留学している時、祖父が亡くなったと知らせが入った。とても悲しかった。最期は別人のようだったけど、祖父が好きだった。祖父側の記憶も幸せだと知って私は嬉しかった。とても、とても、嬉しかった。久しぶりに、いつぶりだろうか幸せだと感じだ。だから駅に戻り、電車に飛び込んで死んだ。


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