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あらためて土砂災害の「前兆現象」について

 土砂災害には前兆現象があるとよく言われますが、この「前兆現象」という「情報」には注意が必要です。これについてはこれまでも繰り返し述べてきましたが、まず、2018年5月9日付静岡新聞「時評」欄への寄稿記事を再掲します。

土砂災害-「前兆」頼りすぎるな(静岡新聞寄稿記事再掲)

 土砂災害が発生する際には、「前兆現象」があるので注意せよ、といった話をよく聞く。このこと自体は何も間違った話ではない。たとえば,平成29年5月12日付の政府広報オンライン「土砂災害のおそれのある区域は全国に約67万区域!」の中では、前兆現象として、「がけから水が湧き出る」「山鳴りがする」「急に川の水が濁り、流木が混ざり始める」「腐った土の匂いがする」「降雨が続くのに川の水位が下がる」など(一部抜粋)が挙げられている。しかし、こうした「前兆」に頼りすぎると、かえって危険である。

 これら「前兆」のほとんどは「すでに山のどこかが壊れはじめている」ことに起因するものである、たとえば「腐った土の匂いがする」は、斜面が崩壊して攪拌された土砂の匂いが漂ってきたものであり、「急に川の水が濁り、流木が混ざり始める」は、崩壊した土砂が河川に流れ込み、土石流となって動き始めていることを示唆する。すなわちこれらは、「前兆」というよりは「発生」を示す現象と理解した方が適切である。

 土石流の速度は概ね時速20~40km前後、流れる距離は数百~数千m程度が目安である。仮に時速40kmとすれば1分間で667mを流下する。ということは、なんらかの「前兆」を覚知しても、残された時間は秒単位しか期待できない。「前兆」と聞くと、それを待って行動開始すれば良いかのような印象が持たれるが、実際に使える時間はほんのわずかである。「前兆」覚知後の行動開始では、手遅れとなることが懸念される。

 なお、「地すべり」と呼ばれる現象では、斜面全体がゆっくり(基本的には1日数cm程度)と動きはじめ、やがて大きく動くことがある。この場合は「地面がひび割れ・陥没」などの「前兆」が確認され、監視・対策がとられうる。2013年4月の浜松市天竜区春野町での地すべりもこのような経過をたどった。地すべりの場合「前兆」は有効と言っていい。しかし、大雨に起因するがけ崩れや土石流は、話が全く異なる。

 大雨に起因する土砂災害の「前兆」なら、基本に立ち返り「いつもと違う大雨」「ただならぬ増水」に目を向けて欲しい。これらの情報は、その場で目で見るばかりでなく、テレビやネットでも確認できる。

もし前兆に遭遇したら、一刻も早く流れと直交方向に少しでも高いところへ

 上記寄稿記事の趣旨の話は、これまで講義・講演、至る所で話してきました。その際「前兆現象が出てからでは間に合わない、こんなものに頼らず、防災気象情報の活用を」とも強調してきました。これらの現象は土砂災害に至らないような状況下でも起こりうることで、どの程度ならという目安がつけにくいことも、「防災知識としての危うさ」を感じる話でもあります。防災のお話として「わかりやすく、覚えやすい」であろう事も、更に危うさを感じるところです。

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 ところで、2021年7月3日の熱海市伊豆山での土石流災害時には、事前にこの前兆現象の可能性がある現象が見られたらしいことが報じられています。興味深い話ではありますが、まず、この話「だけ」を鵜呑みにして、「前兆のあと3時間余裕があるのだ」などとは絶対に受け止めないで欲しいです。この現象がほんとうに「前兆」なのかどうかは断定できませんし、「前兆」だったとしても、その後3時間あったのは「たまたま」で、「いつもそうだ」とは考えない方がよいと思います。

熱海 “大量の泥水が3時間後 土石流に” 現場近くの女性が撮影
2021年7月9日 NHK

 こちらは7月6日に筆者が現地踏査した際の写真。土石流は谷の中の低いところを選択的に流れてその部分にあった家屋を流失させていますが、少し高いところにある建物は損傷していないことがわかります。また、この部分で土石流は写真左手方向から中央方向に向きを変えていますが、これは偶然ではなく、単純に地形(谷筋の方向)に沿って流れたものと考えられます。

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 こうした土石流の性質を考えると、土石流から逃れるためには、谷筋の方向と直交する方向に、少しでも高いところへ逃げるのが基本と言えます。もし「前兆」に遭遇してしまった場合は既に手遅れに近いわけですから、とにかく一刻も早くこうした行動をとることが必要でしょう。下の図ではあえて実際の土石流災害が起こった場所の写真をイメージのための例として使います。ここでは15人の犠牲者が出ていますが、土石流の流れた谷からその両側にある高所に逃げのびて助かった方もいらっしゃいます。

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災害時サバイバル知識として切り取られることを強く懸念

 「土石流から逃れるためには、谷筋の方向と直交する方向に、少しでも高いところへ逃げる」というのは、古くから言われてきたことです。ただ、私はこれまであまりそれを強調せず、「前兆現象に期待せず早めの情報活用を」と強調してきました。それは、こうした「災害時のサバイバル知識」は関心を持たれやすく、単純に切り取られて理解・宣伝され、「これさえすれば大丈夫」のような適切でない安心感を与えてしまっている、という肌感覚を強く感じているためです。

 また、ここでは主に土石流を前提とした話をしていますが、がけ崩れの場合は、前兆の直後に(自分のいるところに)崩れ落ちてくることも大いに考えられ、「高いところへ」というより「崖から離れて」が適切でしょうから,やはり話は単純化できません。

 「前兆現象に期待せず早めの情報活用を」が大原則である、という気持ちは今後も変わりません。ただ、「前兆現象覚知」という、もはや手遅れに近い状況に遭遇した際には、一刻も早く少しでも高いところへ、というのは付け加えた方がいいかなとも思います。しかし、そうすればそうしたで、その話だけが頭に定着してしまい、「そうすればよいのだ」という安心感を惹起することが怖い気持ちも強く、迷いはつきません。



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