先週今週

ジャイサルメールから東に何千キロあるかも知らないほど無関係な地方都市である新潟の空は青く高く正しく夏に近い高気圧で俺が失っていた人間性の均衡感覚を少しずつ取り戻してくれた。
古町の中華屋はサラリーマンだらけでそこに混じって頼んだ油淋鶏定食はまるでキャッチャーミットをざく切りにしたかのようなサイズ感、俺は食前に押忍!食後に押忍!と思わずつぶやいていた。
胃と腸に余すことなく詰め込まれた鶏肉と米とザーサイと激アツの卵スープで加速した俺の血糖値はとうに常人の2倍、3倍、4倍……もはや背中すら見えないほど遠くへ行ってしまった。
そのおかげで午後の仕事は頭を赤べこのように揺らしながらほぼ白目むいて意識も白昼夢に包まれctrl+cもvも押せないただの物質、オブジェクトとして穏やかなオフィスに漂って時をやり過ごした。

かと思えば弁当を持参する系男子になり会社近くの公園でベンチにあぐらをかきスズメの砂浴びを眺めながらロフトで買ったランチボックスからあふれ出しまくった自作麻婆豆腐とカバンの生地とが織りなす悪臭に涙を流し飯を食うのだ。
生きている。俺の身体に脈打つ鼓動は甘めの血液を全身に循環させて生命をつないでいる。
そろそろ俺もこの世の素晴らしさを説法しながら公民館を回る「生きるの会」を設立して法人化してこの秩序無き世界に浄化の光を!と第三の目が開き始めた頃に限って雨が降る。
暖かな光に包まれた俺の日々はむあっとしたぬるい雨によって終わりを告げる。

雨が降ったら俺は屋根を探してとぼとぼと歩き回る野良人間、もとい野良タンパク質に過ぎない。
そして久しぶりの雨で気付いたがこの靴、穴あいてるな。
ただ立っているだけなのにじゅわっ、と高野豆腐のような感触が左足を襲った。
そして歩くたびに乳幼児が履く靴のようにむぎゅっむぎゅっと音が鳴る。
靴の中の水分と俺の自重が奏でるメロディーが雨に濡れた新潟の石畳に悲しく響いた。

屋根……屋根……。
屋根がある人間がうらやましい。
むぎゅっむぎゅっむぎゅっ……。

何と哀れなことか!
ただ俺は雨に濡れない屋根の下で家で炊いた水の量ミスったぐちゃぐちゃの米を食いたいだけなのに。
生きるとは何と辛いことなのか。
カルマ。これが人の犯した罪、原罪。
生きるとは贖罪し続ける道でしかないのだ。

のだ……と肩を落としながら古町のアーケードに逃げ込んだ瞬間、俺の目に映ったのはデイリーヤマザキのイートインスペース。

イデア!
俺はそこに「救い」のイデアを見た。いや「安らぎ」、もしくは「屋根」のイデアか。
なりふり構わず飛び込み「くんたま」と「チキンスティック」を買って昼間から氷結を飲む最高の余生ど真ん中の爺さんと爺さんに囲まれながら着座。
キョロキョロと周囲を見回しながら弁当箱を取り出しチキンスティックを米に突き刺してゆっくりと手を合わせた。

濡れずにぐちゃぐちゃの米が食えてさらにおかずまで買い放題なこの空間を今日から俺はParaiso【ぱらいそ】と名付けることにした。
横の爺さんたちもその案には激しく同意してくれることだろう。

【地上の楽園】から出る頃、雨は上がり歩く人の声がはずんで聞こえた。
そして夕方を過ぎる頃には陽を隠しながらも穏やかに雲は流れて今日の雨を伝える証拠は万代橋から見える水量の多い信濃川とアスファルトに残った水たまりと俺の湿ったスニーカーだけだった。

そして雨が上がってたせいで俺は傘を会社に二本とも忘れて次の日えらい目にあった。
ついでに折りたたみ傘の袋を二本とも失くした。

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