おおばやし

書くことがある毎日を過ごしたいと願うばかりです

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最近の記事

DX(デジタルトランスフォーメーション)の向こうへーRPA、ボクのトモダチー

日々ただ生き延びるために出社して退社していた俺に社内業務改善に向けたRPAエンジニアの任が下ったのは去年の夏かその手前だっただろうか。 AのデータをBに移す作業をひたすら繰り返すことでお給金をもらうだけだった俺は思わず「あーるぴいえー?」と何だか甘えたような口調で上長に聞き返した。「ぼくがですか?」 歯抜けのような顔をした俺に対して上長はzoomの画面越しに「お前がRPAの業務をやる理由」をやさしく説いてくださった。 要約すると「お前以外みんな忙しいから」というだけの話

    • 雪道で車が3回転半決めてたあの頃

      いかつい寒波で僕の住む新潟の街は氷漬けにされた。 朝起きてお湯の蛇口をひねる。ぴちょん、と一滴だけ水滴を落として沈黙する蛇口に俺は力石ばりの減量でもしていたかなとも思った。 水道代滞納説が頭をよぎったが冷水は出る。 なるほど、お湯側の水道管が凍ったようだ。 思わず「3連休初日ぞ!」と天を仰いだ。 こうなりゃ実家に帰って存分にお湯を楽しもうと思うが外の駐車場にある僕の車は「かつてクルマと呼ばれていたもの」として雪の中に埋まり息をしていない。 人類をなめんな!と公共機関でビューッ

      • 性の目覚めとウルヴァリン

        冬感強めの朝起きたときのあの感じ。毛布からはみ出た己の四肢が感じる冷たい室温と新潟らしい低気圧がもたらす片頭痛とのどの違和感。 だるいぜまったく、やれやれだぜ。 そう脳内で反復する自分のつぶやきは反響するうちに音となって意味を帯びる。 こんな有名な格言がある。 ”思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。 言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。 行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。 習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。 性格に

        • ひびのなかで

          書くほどでもないことをまとめて書いておこうという試み。 越後交通のバスは世界線を超えて通勤バスは秋雨の中を走る。 気だるい顔で地蔵のように感情を無くしながら固まって過ごすのがここの掟らしい。 全員が生物であることを忘れ、じっとただ時が過ぎ去ることを待つ。 ところで俺の隣の席に誰も座らない率がエグい。 毎朝通勤の時間帯は混む。すると人は立つ。なぜ?俺の横は空いているというのに。他の二人がけ席は埋まっていくというのに! 俺は毎朝「なぜ?」と思いながら目を閉じただのオブジェクトと

          母とその母と ②

          ばあちゃんは、ボケたのだ。 今は呼び方が変わったのかもしれないが、いわゆる痴呆が始まっていた。 目は少し虚ろになって、時々よくわからないことを言うようになった。 居ない誰かの姿が見えたり、その人のことを怖がったり。 そんな行動をする度に母はとても強い口調でばあちゃんに怒った。 何度も何度も何度も大きな声で怒っていた。 僕はそんな母の姿を見るのが嫌で嫌で仕方なかった。 ばあちゃんを怒鳴りつけて叱っている母に対して「でけえ声で怒ったってしょうがねえろうが!」と怒鳴り返したこともあ

          母とその母と ②

          母とその母と ①

          夏らしくない夏の中で暦は進んでお盆が来る。 この時期になるといつもばあちゃんのことを思い出す。 残暑厳しい東京は逃げない熱が僕の住むボロアパートにも眠れない夜を連れてきた。 断続的な浅い眠りの中で何度も僕は寝返りを打ちながら夜をやり過ごそうと努力していた。 そんな深夜3時にガラケーが鳴った。 母からの着信にほんの一瞬戸惑ったあと、すぐに内容の察しが付いた。 「ばあちゃんが、死んだわ」 と電話に出るなり母はそう言った。 小刻みに震えた声色と少し荒い息づかいに僕は、生みの母親

          母とその母と ①

          先週今週

          ジャイサルメールから東に何千キロあるかも知らないほど無関係な地方都市である新潟の空は青く高く正しく夏に近い高気圧で俺が失っていた人間性の均衡感覚を少しずつ取り戻してくれた。 古町の中華屋はサラリーマンだらけでそこに混じって頼んだ油淋鶏定食はまるでキャッチャーミットをざく切りにしたかのようなサイズ感、俺は食前に押忍!食後に押忍!と思わずつぶやいていた。 胃と腸に余すことなく詰め込まれた鶏肉と米とザーサイと激アツの卵スープで加速した俺の血糖値はとうに常人の2倍、3倍、4倍……もは

          コーヒーミルとナルシズム

          一人暮らしのOLが猫を飼い始めてチャクラと悟りに目覚めるように俺もついにコーヒーを豆で買い、挽き始めた。 これは俺がコーヒーの味、風味を追い求める求道者たる人物なら赦されるが俺が魅了されたものは「コーヒーをわざわざ豆を挽いて飲む俺」の姿であることは認めざるを得ない。 もはや現代のことわざとも言うべき「スタバでmacbook」状態に近い。 これは自分の所有物とシチュエーションによって溢れ出す自意識を無意識を装い他者に見せつけてそのフィードバックの繰り返しがオーガズムを生むことな

          コーヒーミルとナルシズム

          父の退屈

          コロナに関する情報の波は日々我々の神経をまるで砂上の城を削る様に押し寄せてついに俺にはウイルスが可視化されて外界に現れた。 見える。樫の木を削った棍棒を持ちながら町をうろつくコロナウイルスの姿が。 奴は疾病持ちの俺を殺すためにこの町を徘徊しているに違いない。違いないのだ……。 カーテンの隙間から覗いた外の様子に怯えて俺は布団を被りファイアーエムブレムをやるしかない、と心に決めたが身体は空腹でニンテンドー3DSのボタンを押すことすらままならない。 飢えて死ぬか、食料を求め外に

          a tribe called summer

          誰にでも平等に夏は訪れる。 それは小学生だった俺にも訪れた。 俺の生まれた地域はすぐ近くに信濃川が流れ、豊かな自然が育んだ肥沃な土と豊富な水量から水田と果樹園が広がる田舎だった。 そんな田舎では早朝になると毎日のように銃声が聞こえた。 バーン!と毎朝どこかで鳴り響くその音に対して子供の頃は文明開化の音色くらいにしか感じてなかったが成長するに従い、こんなインターネッツの時代に毎日銃なんて撃つものなのか?と疑問に思い調べるとどうやらぶどう畑などにやってくる害鳥を追い払うための銃

          a tribe called summer

          バイパスとやるせない暗喩

          日曜の夜。 実家から食料を盗んで帰る田舎の土手はすれ違う車もなく、ただ気だるそうに曇った夜の中に等間隔に並んだ反射板だけが緩やかにくねった道を示していた。 俺も半分脳が自動運転ロボモードになりながら暗夜行路を運転しているとバックミラーにカッ!と一台の車のヘッドランプが反射した。 その光はまたたく間に俺の車に近付いてくる。 頭文字Dなら 「一体何だ……このプレッシャー……!」 ギャオオオオオ プシャアアアア で次号へ続くのだが現実はバオオオーンとドップラー効果と共に一瞬でブチ抜

          バイパスとやるせない暗喩

          神=xとした場合

          小学生の俺はノートの上で世界を救う旅をしていた。 勇者がいて、魔法使いがいて、盗賊がいる。 魔物がいて、敵軍がいて、魔王がいる。 剣を振り、魔法で火を放ち、村を救い洞窟を探検して宝を手に入れるそんな旅を脳内で描きながらノートにHPやら攻撃力やら敵モンスターを激ショボの描写力で書いて争わせていた。 恐らくその頃遊んでたゲームの設定を丸パクリかつチャンポンして作り上げられた我が英雄譚のゲームシステムは単純で、攻撃力−防御力=与えるダメージという仕組みになっていた。 基本激ヌルゲ

          神=xとした場合

          自分の鼻の形が嫌だ、って君は言うけど君を思い出すときって100パー鼻の形から思い出すからその鼻こそが君なんだよ

          換気扇と工事現場の音が生み出す暮らしのグルーヴの中で俺だって有意義な生活をしようと毎日思う。 そこで俺の人生における意義とは何かと考えるが、結局他人との差分をどう作っていくかということなんじゃないだろうか。 子どものころ、両親は俺が見てないときはカマキリのような顔をしたバケモノなんじゃないかと常に疑っていた。 それ故に「ごちそうさま」と食器をシンクに置きに行く途中、両親の後ろを通った瞬間バッ!と急に振り返り正体を確かめようと何度もした。 しかしいつでも二人の背中は人間の姿の

          自分の鼻の形が嫌だ、って君は言うけど君を思い出すときって100パー鼻の形から思い出すからその鼻こそが君なんだよ

          もし、誰も傷つけずに生きていいっていわれたら輸入雑貨で部屋を飾ろう

          起きて半畳 寝て一畳 飯は食っても二合半 所詮 人間そんなもの そのように花の慶次に教えられて生きてきた。 そうだよな、あとはタバコかましてパチンコ打ってエロ動画のサンプル漁って缶コーヒーとデカビタ飲んでごつ盛り食ってスマホアプリのログインボーナスだけもらって…… 所詮 人間そんなもの と服はボロでも心は錦!の精神で生きてきた節あるけど心もボロになっていることに気付く。 意識高い系ライフスタイルへの反逆(リベリオン)を意識し過ぎるあまり意識低くあろうと常に意識している気がす

          もし、誰も傷つけずに生きていいっていわれたら輸入雑貨で部屋を飾ろう

          死までのイーシャンテン

          とにかく空は晴れて貫通した青空と絶妙な雲のコントラスト。 外気も暖かく床に転がる魚肉ソーセージの鮮度か気になるほど。 気分が良い。とにかく。 土曜の最高につられてベッドから起きるとそこには組みかけたハンガーラックが哀愁に満ちた骨組みのままそこにいた。 ああ、昨日作ってる途中で爆眠くなって作るのやめたまんまだったなと思い出す。 午前8時。 俺はこれから何でも出来るんだ、と心を弾ませた直後医者に行かねば薬が無いことを思い出す。 生命。俺を貫くその意味をダルさと争わせて仕方がなく重

          死までのイーシャンテン

          フォーエバーヤング

          年を重ねるごとに青春というものが輝かしく見えてくる。 大人はみんな青春が大好きでいつまでも振り返ってその姿を確認してしまう。 きっと誰しもが青春に後悔があるのだろう。 それ故にあの頃自分に実際起きたことや学園モノのドラマアニメ映画すべてごちゃ混ぜにしてあり得たかもしれない自分の姿をどこかに探している。 可能性だけはどんな人にもあり得た時代を青春とくくって一生爽やかな後悔と「もしかしたら」の続きをほのかに夢見て憧れ続けてしまう、そんな病気なんだろうか。 少し前のnoteで中学

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