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雪道で車が3回転半決めてたあの頃

いかつい寒波で僕の住む新潟の街は氷漬けにされた。
朝起きてお湯の蛇口をひねる。ぴちょん、と一滴だけ水滴を落として沈黙する蛇口に俺は力石ばりの減量でもしていたかなとも思った。
水道代滞納説が頭をよぎったが冷水は出る。
なるほど、お湯側の水道管が凍ったようだ。
思わず「3連休初日ぞ!」と天を仰いだ。
こうなりゃ実家に帰って存分にお湯を楽しもうと思うが外の駐車場にある僕の車は「かつてクルマと呼ばれていたもの」として雪の中に埋まり息をしていない。
人類をなめんな!と公共機関でビューッと帰ろうと思索して調べたところ電車は全線運休。人類終了。
想像以上に新潟市は雪に弱いのだ。毎年雪が降る度に思う。
新潟市民は口癖のように「意外と新潟市のほうは雪降らないからね」と言う。俺も1か月前なら言ってた。
そして2年後くらいにまた言うかもしれない。

雪道の運転にはトラウマがある。
数年前の大雪の年、俺は出勤するために車に乗り凍結した雪道をヌ~ッと運転していた。
自宅から出て3分後、コントロールを失った俺の車はトリプルルッツを決めながら雪の田んぼに突き刺さった。
速度を出していたわけでもなく、雪と氷でできた道路の轍と我がタイヤの反りが合わずブレーキもハンドルもおもちゃと化してあとはされるがままだった。
「さだめじゃよ」と会ったこともないジジイの師匠の声が頭の中に響きながら車は田んぼにゆっくりと突っ込んでいく。
走馬灯で見えたぶどう畑、ゼットンの人形、好きだったころの長谷川京子、さよなら。
ザッシャーッ!と音を立てながら車は雪の中に沈み、俺は死んだ。

幸い近くにセーブポイントの実家があったので助けを呼びレッカー車が俺の死体と車を引き揚げたためやり直すことができたがその時の記憶が強烈に俺の脳裏に焼き付いている。

お湯、お湯が欲しい!
俺の願いを聞き届けたgoogleによって導かれた答えはビジネスホテルへの逃亡であった。
路線バスは動いているので駅前への移動は可能だった。
すぐさま予約かまして宿泊。
前々から思っていたが俺はビジネスホテルが好きなのだ。
研ぎ澄まされた「必要」だけに満ちた空間は俺に不要な行動を促す作用がある。
ビジネスホテルが担保する暮らしに対する「必要」が可視化されることでその外側にある自分なりの自由さをより明確に感じたり考えることができる感じがする。
そんな何をしてもいい時間を俺はスマホいじって寝落ちしてドブに捨てた。
「それも人間の性(さが)じゃよ」と存在しないお師さんの声が聞こえた。

起きて俺はビジネスホテルの一室でお湯をためて風呂をかました。
暮らしの当たり前が次々と変化していく今、お湯が出る喜びを改めて噛みしめながら。

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