母とその母と ②

ばあちゃんは、ボケたのだ。
今は呼び方が変わったのかもしれないが、いわゆる痴呆が始まっていた。
目は少し虚ろになって、時々よくわからないことを言うようになった。
居ない誰かの姿が見えたり、その人のことを怖がったり。
そんな行動をする度に母はとても強い口調でばあちゃんに怒った。
何度も何度も何度も大きな声で怒っていた。
僕はそんな母の姿を見るのが嫌で嫌で仕方なかった。
ばあちゃんを怒鳴りつけて叱っている母に対して「でけえ声で怒ったってしょうがねえろうが!」と怒鳴り返したこともある。
ボケたばあちゃんを受け入れるしかないのだ。
怒ったって怒鳴ったって昔のばあちゃんには戻らない。何でそんなことがわからないのか、とその頃の僕には母の行動が理解できなかった。

でも今思うにやっぱり母は、ばあちゃんが、実の母親がボケたということを認めたくなかったんだろう。
産まれた瞬間からずっと一緒に生きてきた"お母さん"が居なくなってしまうような、そんな現実を否定するために母はばあちゃんを叱っていたのかもしれない。

夕方。
高校生の僕は自宅に帰り、裏口から鍵を開けて家に入る。
するとばあちゃんがいつも表玄関に腰を掛けてずっと外を眺めて座っている。
この家に嫁いでから財布も持たず、車も運転できず、ただただ毎日畑を耕して、ぶどう畑を見に行って、日が暮れるまで草を刈っていた。
ばあちゃんは誰かの「厄介になりたくない」からずっと曲がった腰で畑に毎日行き続けたのだ。
身体が勝手に畑に向かおうとするのだろう。
でももう、外に出すわけには行かない。

「ばあちゃん、ここに居るとまたお母さんに怒られるっけさ、部屋戻ろうれ」
ばあちゃんとしゃべるとき、僕はわざとらしすぎるくらい方言を使う。
「うん」と言いながら動かないばあちゃんに僕は色々と話しかけた。
また放課後はばあちゃんと二人で過ごす時間になっていた。
ひとしきり何か一方的に話しかけて、その後ばあちゃんの手を握ってゆっくりと部屋へ連れて行く。
それが毎日の僕の日課になった。

ばあちゃんは身体も動かなくなっていった。
共働きの両親では介護も出来なくなって老人ホームと病院と自宅を行ったり来たりする生活になった。
原チャリ通学の僕は帰り道を少し遠回りしてばあちゃんの病院に寄る。
日によってばあちゃんは僕のことが誰かわかったり、話しかけると返事をしたり、しっかりとした目で頷いたり。
「ばあちゃん、じゃあ俺帰るっけね」と言っていつも最後に手を握った。
少しだけ、握り返してくれる。
それだけはどんな日でも握り返してくれた。

母は老人ホームや病院にいるばあちゃんの元に毎日通った。
家から遠いところでも毎日通って僕に様子を報告した。
「今日は親戚の話を理解した」「目が遠く見てた」「昔みたいにしっかりしてた」「いとこと自分を間違えてた」「持っていった梨を全部食べた」「職員さんに怒ったらしい」

どんなときのばあちゃんも逐一僕に報告した。
話しかける娘とそれを聞く母。そんな二人の時間を久しぶりに過ごしていたのかもしれない。

それから僕は東京の大学に通い、母は仕事を辞めてばあちゃんの介護を始めた。
具合が悪くなったら入院をして、それから何回も「山場」を迎えていた。
僕は帰省するたびにばあちゃんに話しかけた。
もう返事をすることはなかった。
ぼんやりと開いているかわからない瞳でこちらを見つめていた。
それでも最後に手を握ると本当に少しだけ、手が動く。そして温かい。
それだけで良かったのだ。

母からの電話を受け、カバンにスーツだけ放り込んで始発の新幹線に乗った。
これまでのことを思い出しながら流れていく景色をただぼーっと眺めていた。
僕はまだ何だか泣けずにいた。
燕三条の駅に着く。
兄が迎えに来ていてその車内で「その時」の話を聞いた。

自宅で介護を始めてから母は、ばあちゃんと同じ部屋でずっと介護をしながらそばで寝ていた。
そんなある日の深夜、ばあちゃんの異変に気付いた母は救急車を呼び、2階で寝ていた兄を起こした。
介護施設で働く兄が救急車を待つ間に緊急措置を行ったのち、ばあちゃんは病院へ運ばれていったがそのまま息を引き取った。
亡くなったとき、母はばあちゃんの死因を聞かなかったと言う。
その理由を本人から聞いたわけではないが、聞くまでもない。
「もしも」もう少し早くばあちゃんの異変に気付けたら。
「もしも」一日でも生きる方法があったとしたら。
そんな「もしも」の続きを母が知ったらきっと一生後悔し続けるだろう。
だから母はばあちゃんの死因を聞くことが出来なかったのかもしれない。
そしてそれはすごく正しい選択だったと僕も思った。

実家につくともうすでに慌ただしく色々な人が家の中で葬儀の準備をしていた。
挨拶もそこそこにまず亡くなったばあちゃんが寝ている部屋に通された。
その部屋にはばあちゃんを囲んで両親や親戚が座っていた。
顔にかかった白い布を取る。
死に化粧をされたばあちゃんはお盆で帰省した先週見たときよりも生き生きとしているように見えた。

「やっと終われたなぁ、ばあちゃん」と心の中で思う。「やっと、やっとだなぁ」と思った。

そして無意識にいつものようにばあちゃんの手を握った。
もう握り返してくれない、冷たいばあちゃんの手。
僕の心臓は一気に冷たくなり、そこで本当にばあちゃんがもうここにいないことが、わかった。

「ばあちゃんが死んだ」
一気に頭の奥から感情があふれて、涙が出てきた。
周りには家族も親戚も近所の人も山ほどいた。
声を上げながら二十歳を超えた僕は泣いた。僕はばあちゃんの手を握りながらわんわんとひーんとえ~んと泣き続けた。
その姿は多分、ばあちゃんがあの日探していた"坊"だったころの僕だった。
ばあちゃんの前ではきっと一生僕は"坊"のままなのだ。


それから10年ほど経った今年、僕の母は孫が生まれてばあちゃんになった。
母がばあちゃんになって初めての夏。
僕のばあちゃんもあの世から帰ってきてひ孫の顔を初めて見ることになるんだろう。
夏らしくない夏でもカレンダーはめくられるし、時代はどんな事が起きても次に進んでいく。

明日からはしばらく暑い日が続くらしい。

終わり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?