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アイスランドから見る風景:vol.11 ドレスデンとフェルメール ドイツ編①

今年の10月中旬、カメラのレンズを購入する必要に迫られてベルリンに飛んだ。その寸前にデュッセルドルフに住んでいる友人と話をして、ベルリンに行くならついでに今話題になっているフェルメール展を見に、ドレスデンまで足を延ばすといいと勧められた。フェルメール展、と聞いて動悸が早くなった。ドイツでの大学時代、17世紀のオランダ絵画はわたしの専攻だった。大学のゼミでアムステルダムに研修旅行をし、幾多の美術館や個人コレクター宅を訪問しながら、厳しいドイツ人の教授に絵画の見方を教わった。レンブラントの絵の前で美術史学生としての目がなってないと、教授に叱られた思い出もある。アイスランドに住むようになってから、ヨーロッパ美術史から遠ざかっていたにも関わらず、その友人の言葉にわたしは寸時に過去に引き戻された。

出発間際だったものの、展覧会は2022年1月2日までということで、まだこの時期チケットを取ることができた。パンデミックが始まってからは、どの展覧会でも入場人数を制限している。すでに以前、事前の計画・準備不足のために、ベルリン美術工芸博物館グロピウス・バウでの草間彌生さんの大規模な回顧展を見逃している。8月15日に回顧展が終了ならば、7月下旬にチケットが残っているはずもないのだが、あわよくばという願いはあった。しかし案の定チケットは完売。それに比べれば、今回は紛れもなく幸運だった。

https://www.berlinerfestspiele.de/de/berliner-festspiele/programm/bfs-gesamtprogramm/programmdetail_299677.html


アイスランドに移住してから何度もベルリンを訪れてはいるものの、それ以外の旧東ドイツの都市を足を踏み入れるのは初めてだった。わたしがドイツにいた頃、西ドイツの人たちは、東ドイツの人たちを一種のニュアンスを込めてÖssi (オッシー)と呼んでいた。今日ではきっと差別用語として認識されているだろうし、もちろんその当時でも公の場で旧東ドイツ人をそう呼ぶことはなかったものの、西ドイツの人間にとっては明らかに東は自分たちとは異分子のドイツ人であった。実は、この社会的な分断がそのまま大きく変容することなく今日まで続き、旧東ドイツ領での反政府・反体制派の極右運動の基盤になったという見方が強い。

ベルリンからは2時間かけて急行列車で移動することにした。その交通手段に合わせて、滞在ホテルも急遽ベルリン中央駅近辺に変更、ドレスデンからアイスランドへの直行フライトはないので、再度列車でベルリンに戻ってきて、そのままフライトに乗り継ぐ手配をした。初めは日帰りでベルリンに帰ってくることも考えたが、最終的にはドレスデンに2泊した。未知の街を探索するには、2泊は決して十分な時間ではなかったが。

ドレスデンに着くと、30歳後半くらいの年齢で、髪をポニーテールにした男性が運転しているタクシーに乗った。運転中に窓は開けてもマスクはしていなかったので、どうしてしないんだと訊いてみた。一応乗り物ではマスク着用は義務のはずだ。ドイツでもザクセン州のワクチン接種率が低いのは知っていたのだが、個人がどんなふうに考えているか知りたかった。すると、「苦しくてさ、何だかイヤなんだよ、マスクって」という返事である。その言い方が子供のようで、相手の言い分を正す気にもなれない。そもそもわたしのスーツケースをトランクに入れるときに、「やけに重いね、ドレスデンにはどのくらいいる予定?1週間?」と訊くような人懐っこい人だ。2日だけと聞くと驚いて、「中には何が入っているの?本?」と再度訊いてきたので、”死体”とか”武器”とか言ってからかってやろうと思ったが、本気にされても面倒なので、女はえてして持ち物が多いものなのだと開き直ってみせた。

ドレスデン、アルトマルクト広場でのデモの様子

次に遭遇したのは、ホテルからそう遠くない広場でのデモ群衆だ。西でも東でも、ドイツではもともと市民運動であるデモ活動が盛んだ。週末のうち特に店舗が閉まる日曜日はデモもやりやすいのだろう、大抵大きなデモは日曜日に決行される。その時の社会情勢によって抗議内容は変わるものの、いろいろな年齢層の人たちがあたかも散歩に行くような手軽さでデモに参加している。デモ集団に行き会うのは、ある意味ではドイツでの日常生活のひとコマだ。

今現在は、反ワクチン派の反政府デモ運動が盛んだ。7月にベルリンに行ったときは、Ku'dummの目貫通りをQuerdenkarという名の反政府グループが群れをなしてデモをしていた。ブランデンブルグ門や国会議事堂周辺を警察の車が囲い込んで、バスなどの公共交通手段を完全に遮断した。警備の厳重さと、観光客に先に行けないことを告げる武装した警察官の表情の重々しさが印象に残った。

それに比べると、ドレスデンでのデモは、一見穏便に見受けられた。警察官の姿は多いものの、彼らは互いに歓談しており、警戒している様子もない。集まっている集団は全体的に若い人たちが多いように見えたが、グループも多様らしく、いろいろな旗やバナーが目に入り、ぱっと見ただけでは何のデモ集会かは判断できかねた。後日分かったことだが、これはドレスデン発祥の反移民・反イスラムを旗印とした極右グループ・ペギーダ誕生7周年に対する抗議集団とグループ擁護集団が集まって、お互いに抗議活動をしていたらしい。下記の新聞の記事によると、700人ほどの警官を動員して広場の警備に当たらせたようなので、暴力沙汰に発展する恐れはあったのだろう。肩の力の抜けた警察官たちの様子に、すっかり騙されてしまった。

エルベ川の南岸。ドレスデン美術アカデミーの上の金色に輝く天使の像と川岸を散策する人たち。

次に出会ったのは、エルベ川の川岸をのんびりと歩く人たちの群れだ。わたしのように長くアイスランドに住んでいる人間は、散歩をするときに他人が手の届く範囲にいること自体が稀なので、この人の多さには圧倒された。曇りだったものの、それほど寒さを感じさせない気持ちいい天気の日曜日だったので、人の出も多かったのだと思う。家族連れ、旅行者、老年夫婦から若いカップル、人の合間を縫って走る子供たち、同じ方向に歩く人、反対側からやって来る人、大道芸者、音楽家や絵描き。カメラを持って歩いていると、何か面白い被写体がいないか探してしまうものだが、視線を少し上げて辺りを見回すと、多いのは人ばかりではないことに気が付いた。

エルベ川を背にして、北からカトリック旧宮廷教会を右手に、ゲオルゲントアを左手に臨む。
ツウィンガー宮殿を背に、西南から見たカトリック旧宮廷教会。

カトリック旧宮廷教会の上の彫像をご覧いただきたい。東西南北どちらの方向から教会を見上げても、教会の上からわたしたちを見下ろしている彫像が目に入る。教会の上をぐるりと囲い込んだこれらの彫像は、使徒、聖人、司教、君主を模したもので、全部で78体。高さは2メートルから大きいもので3.5メートルもあるらしい。教会の上だけではない、教会の西南に位置するゲオルゲントアにも、槍を持つ兵士や騎馬の兵士の姿も見ることができるし、ドレスデン美術アカデミーの上にも金色に輝く天使の姿が目につく。ギリシャ・ローマ神話から飛び出て来たようなキューピットの姿もあちらこちらで見ることができる。

ツウィンガー宮殿屋上部・ニンフの泉。

そして、極めつけは、ツウィンガー宮殿の屋上にある彫像の数々である。そもそもドレスデンの建築物の多くが砂岩で作られており、岩の成分の鉄が酸化することで黒ずんでくるそうなのだが、建物ばかりが、彫像も黒い。ドレスデンを初めて眺めるときに皆の頭に一様に浮かぶのは、やけに黒ずんだ街だなあ、という一言に尽きるだろう。この独特の黒ずみは、美しさよりも、不可思議さと一種の不気味さを感じさせる。その色合いに加えて、これらの彫像の顔に浮かぶ表情も無機質なために、ゴシック風のB級のホラー映画の舞台にはうってつけに思える。下記のキューピットのように剽軽な像もありはするのだが、夜ひとりでこの彫像たちの中を歩くことはご免被りたい。

ウォール・パヴィリオン周辺の回廊から古典絵画館を望む。

さて、本題のフェルメール展に話を進めよう。この展覧会は2021年9月10日に始まったので、わたしが訪れたのは、およそ開催から1か月を過ぎた頃だった。この展覧会は、欧州や米国に散在するフェルメールの作品9点を一堂に公開、それに加えて修復し終わったばかりの『窓辺で手紙を読む女』のお披露目という快挙で話題をさらった。予約した時間通りに参上し、チケットとワクチン証明を提示して入場したのだが、とにかくありがたかったのが来館者の数が理想的に抑えられており、ゆったりとした気分で絵画鑑賞を堪能できたことだ。特にフェルメールは東西を問わず人気のある画家なので、入場制限をしなければ、絵を見に来たのか、人の頭を見に来たのか分からないくらい混むはずだ。それをあたかも自分の家の壁に掛かっているかのように、絵の近くギリギリまで寄って見ることができたのは、この上ない幸せな気分だった。

『窓辺で手紙を読む女』の鑑賞を近距離からする見学者たち。

フェルメールの作品9点にすべてについて、この場で触れるのは不可能なので、今回はこの目玉作品に言及するだけに留めておく。まずこちらの作品は2017年から21年にかけて、ドレスデン美術館で修復された。汚れた層を取り除くことで、本来のフェルメールの色彩が再現されたのに加え、復元されたのは、背景の壁の中に塗り込まれていたキューピットが描かれた絵だ。(画中画)また、絵の周りを囲む額のように見える部分も修復前よりもはっきりとして、カーテンレールの部分が額に繋がって、だまし絵のように描かれていたことも明白になった。昔のオランダでは、埃や汚れがつかないように、絵画の前にカーテンを吊るしていたそうだ。その要素を絵そのものの中に取り入れて、あたかもカーテンを開けて中を覗いているような、そんな遊び心の発現がこの絵にはあるのだ。

1979年のX線の調査で、壁に掛かったキューピットの絵の存在はすでに分かっていたのだが、その当時は、この作品の主題の変更はフェルメール自身が行ったと推測されていた。なぜなら、壁のキューピットの画中画ばかりでなく、他にも描き込まれては消された静物(グラス)があり、フェルメールが作品の完成までに何度も構図に手を加えていたからだ。(椅子の位置や向き)窓の側に立つ女性が初めに描かれた場所も、顔の角度がより壁の方に向いていた。(本来描かれた場所からだと、窓に映り込む像は正しいのだが、もちろん今の場所からが不自然である。映り込み像のデコルテの装飾も違う)

フェルメール自身が上塗りをしたのではない、と考えられるようになったのは、修復が進むにつれて、キューピットの絵具の層と上塗りされた絵具の層の間に汚れた層が発見されたためだ。その汚れが短期間で生じるものではないことが分かると、1657-59年に描かれた作品がフランスに渡り、1742年にザクセン候フリードリッヒ・アウグスト2世のコレクションに加わるまでの間のいずれかの時点で、壁のキューピットが別の画家の手によって塗りつぶされたと考えるほうが自然である。オランダよりもフランスで加筆が行われた可能性が高いというのが専門家たちの意見だ。

『窓辺で手紙を読む女』のスナップ。携帯での撮影と館内の照明のために、この映像は実際の作品の美しさにはとても及ばない。

わたしはキューピットなしの絵に見慣れていたので、初めこそこの饒舌な背景に戸惑いはしたが、それ以上に、オリジナルの状態に近くなった作品の色の豊かさには圧倒された。フェルメールのパレットは、独特だ。特にこの作品の中の緑、青と赤の対比には目が引き寄せられる。また特筆すべきは、フェルメールの光の捉え方が当時のオランダの画家たちと全く違うという点だ。彼の光の表現が後世の印象派の画家の筆致を思い起こさせるので、印象派の父と呼ばれることもあるそうなのだが、明るい色の効果的な使用とシンプルなタッチによって、光と影を同時に表現した点でも前衛的だった。影にはニュアンスがあり、黒ばかりではないのだ。他の同世代の画家たちと並べて作品が展示されていたために、数メートル離れて双方を見比べると、さらにその違いが顕著になる。

展覧会を訪れた後に、アイスランドで美術館主催の専門家たちのデジタル講義に参加した。多くの聴講者から、フェルメールとカメラ・オブスクラ(カメラの原型)の関連を問う質問が頻繁に上がった。フェルメールの絵に消失点をなぞったピンの跡が残っていることや、彼や同世代の画家たちが遠近法に強く興味を示したこと、また彼の光の扱い方から、フェルメールが実際にカメラ・オブスクラを使って作画していたかどうか、みな興味があったのだろう。ドイツ人の専門家によると、フェルメールは装置についての知識は持っていたが、使ってはいなかった、なぜならその当時カメラ・オブスクラはデンハーグにはあったものの、デルフトにはなかったということだった。

しかし、わたし個人がフェルメールとカメラの相関性を強く感じるのは、遠近法を使った構図や陰影に於いてではない。自分が写真を撮るようになって初めて気が付いたことなのだが、それは彼が描く女性たちの表情としぐさにある。ポートレートやスナップ写真を撮ったときに写る、一瞬の表情、一瞬ではあるものの、それはその人物の持つ本質が抽出されるその瞬間を、フェルメールの作品に見ることができるのだ。その瞬間を見極めて捉える目を持つこと自体、写真家だろうが、画家だろうが、芸術家としての稀有な資質に違いない。しかし技術的には写真ならば捉えるだけのその瞬間を、フェルメールは捉えるだけではなく記憶に貯蔵し、しかも創作するときにそれを自分の記憶の中から取り出して、カンバスに再現している。その資質と技量には舌を巻くしかない。

ここは意見の分かれるところだが、わたしは、写真は現実を写す鏡ではなく、主観的な世界を作り上げる媒体だと思っている。そう言った意味で、何をモチーフに選んだか、その人物のどんな表情をどの瞬間に捉えるかの選択をした途端、写真の客観性は薄れ、写真を撮る人間の意図と画像は固く結びついて切り離せなくなると考える。フェルメールの人を観察する目に、カメラのような要素を感じるというのは、まさにそういったニュアンスでだ。対象をそのまま模写する、という意味ではない。ただの模写でないからこそ、時代を越える普遍性、かつ不変性をフェルメールの絵画が内包しているのだ。

今回のドレスデンの展覧会は、ドイツ人の修復家の職人気質と美術専門家の誇りを感じさせる素晴らしいものだった。しばらくは、この展覧会に匹敵するようなレベルの展覧会には出会えないだろう。完成度の高さを目指すひたむきさは、アイスランド人は持ち合わせていない、ドイツ人特有の資質に思える。また機会があったら、ぜひこの点も別のコラムで掘り下げていきたい。

ちなみに、わたしに展覧会のことを教えてくれた友人は、12月にドレスデン入りする予定だった。ところがザクセン州の感染拡大で、展覧会自体が11月下旬から中止になり、そのまま2021年1月2日の展覧会終了まで、美術館を閉鎖したので、結局フェルメールを拝むことができなくなった。こちらの作品は、次に東京都美術館で展示される予定だそうだ。今現在欧州から見る東京は、海外在住の日本人には遠く離れて手の届かない場所だ。残念だが、友人には作品が再びドレスデンに戻って来るのを待ってもらうしかなさそうに思う。



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