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小説のつづき 3

それから数日は、新商品の記者発表の準備で忙しかった。発表日は、決まってい
るのに企画からは中々商品の資料がもらえず、紙焼を手配したり、リリースを作
るのに追われた。

毎日、自宅へ帰る車の中で電話と思うのだけれど、すぐにはしない方がいいよう
な気がして、バタバタしているうちに一週間以上が過ぎてしまった。

なんとか記者発表をやり過ごして、ホッとしたその日、郊外というよりは田舎に
ある自宅まで、あと5キロ程のところ、ここから先は、僕のマイナーな携帯電話
では、圏外という場所で彼女の声がどうしても聴きたくなった。路肩に車をと
め、手帳と携帯電話を取り出す。
スイッチを入れると、マッ暗に近い車の中が明るく淡いグリーンに照らされた。
きれいな色だった。
名刺に走り書きされた彼女の番号をルームランプをつけて十分にドキドキしながら一つ一つプッシュしていく。

ルームランプが明るすぎる気がしてスイッチを切る。

暗闇に電波が飛んで呼び出し音が伝わってくる。6回、7回・・・もう切ろうか
と思った時、彼女がでた。

「もしもし」
「あ、もしもし、僕です、XXです。」
「コンバンワ、ずいぶん遅いのね。」
「いや、遅くがいいって言ってたから」
「そうね、今何処から?」
「もうすぐ家につくところ」
「じゃあ話してると家についちゃうよ、奥さんがでたらいやよ」
「今車を停めてるから」
「あっそうなの、あれだけ電話してねっていったのにかかってこないからやっぱ
りXX君とは縁がないのかと思ったわ。」
「いやそうじゃなくて、すぐにするのもどうかと思ってね」

彼女は、軽快に笑った。

「高校生じゃないんだから、いいかげん素直になりなさいよ」
「そうだね」
「XX君、会いたいな・・・」
「僕もそう思っていた。あの結婚式の日以来ずっと」
「じゃあ今度の土曜日出て来れる?私、仕事が珍しく入ってないのよ。神戸の家
に来て。演奏も聴いてもらいたいし、夕食も作るわ」
「分かった、じゃあ2時か3時には行くよ、でも道思い出せるかな?」
「わからなくなったら電話して、すぐ迎えに行くから。」

神戸と大阪に離れているのに彼女の声がずっと近くに聞こえる。柔らかないい声
だ。幽かなノイズを気にしなければまるで耳もとで話しかけられているようだ。

「僕はなにを持っていったらいい?」
「いいわね、学生の時みたいで。そうね、あの頃と違って、今は、お米も調味料
もみんなあるし、お花でも買って来て。美女に会いに来るんだから!」

土曜日は幸いなことに子供達も学校だった。僕は、仕事に行くような顔をして家
を出ると、駅の近くに車を停め梅田で時間を潰して、JRで神戸に向かった。三ノ
宮で普通に乗り換えてOつめの駅でおりた。
駅前の商店街で花は買ったものの、家までの記憶が曖昧で、結局、駅前まで迎え
に来てもらった。

「ありがとう、きれいなバラね。XX君と二人で歩くのひさしぶりね、なんだか
懐かしいわ。今日は私の演奏聴いてね。ちょっと練習したからね、本番に備え
て」
「光栄だな、僕のためだけに弾いてくれるんだろう。この間もうまく弾いて
たね」
「あの日はね、わりと細かく曲の指定があったのよ。入場はこの曲とか、お色直し
は、この曲とか新婦さんの希望でね」
「ああ、それで新しいポップスとかが多かったのか、新曲アレンジするのも大変
だろう?」
「一曲全部弾けるといいけどメドレーでいいとこ繋いだりしないと退屈するか
ら、それと、譜面が出るの待ってられないこともあるしね。まあ仕事だから楽しい
わよ」 
「ほら、もうついたわよどうぞ入って」

彼女が案内してくれたのは、中庭を挟んで立つはなれだった。8帖程の部屋は、
海側に窓があり、反対側に大きなエレクトーンが置かれていた。あとは、楽譜が
一杯入った本箱とオーディオセット、そしてこじんまりした応接セットが中央に
置かれていた。

「ここがね、私のレッスン室兼コンサートホールよ。まあ、座ってちょうだい。
ちょっと待って、お茶入れるね」

「XX君・・・私の入れたアールグレイ好きだったでしょう」
「ああ、学生の時教えてくれたんだよねアールグレイ。アールグレイ飲むごとに思い出してたよ」
「また、ウソ!バカ言って」

数少ない読者の皆様、覚えていらっしゃいますか?ここからアールグレイの会話が始まり
ます。アールグレイの章よかったらもう一度読んで!

最後のフレーズは、

「いろいろすぎて言えない、でもXX君がアールグレイが好きっていつも言ってたから、私もとても好きになった、ずーっとこの20年間」

「じゃあ弾くね。ちゃんと聴いてよ! アールグレイ味わいながら」

                        つづく