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小説のつづき 5

「アールグレイ、おかわりする? それともコーヒーにする?」
「じゃあ、せっかくだからおいしいアールグレイおかわりするよ」

彼女が注いでくれたカップは、厚手の和風の焼き物だった。

「相変わらずこんなカップが好きなんだね、土っぽい民芸調の」
「ていう訳でもないんだけど、これはね、あとのお食事の器とコーディネイト
してるわけよ」
「昔からそんなことが好きだったね、君は。学生の頃もお金が少ししかないの
に、気に入った器を買ってしまって肝心の料理の材料が買えなかったり・・・」

「まあそんなこともあったかな」 
「実は心配してたの」
「何を?」
「2時か3時頃来るって言ったでしょう。夕御飯用意しても、それまで間が持つ
かなと思って。でも話し出すと、ずっと以前の二人に瞬間的に戻れるのね。
こんなに、話題が尽きないとは思わなかったわ。」
「僕もだよ、何話そうか、考え考え来たんだけれど、そんな必要は、なかったよ」
「もう一つの心配はね、今日のメニュー。なかなか思い付かなくて。あの頃は、
どんな物食べてたかなって考えたけど、思い浮かばなくて、結局、和食のメニュ
ーは、自信がなくて、パスタにしたわ。前菜はね、おばあちゃんが買って来たお
刺身・・・ 変でしょう。」
彼女はいたずらっぽく笑った。
「でもね、一生懸命、洋風に盛り付けてみたの、そしたらカルパチョみたいでい
けるかなって・・・」

お互いに10数年ぶりの再会は、なつかしく、そして、いとおしくもあった。
話題といい、その会話のテンポと言い、若い日の僕達の関係を思い起こさずにはい
られなかった。夕食の時間になって、彼女の作る料理の味付けや、お皿をだして
いく適切なタイミングに学生時代とは見違えるような成熟したものを感じ、
彼女の今まで過ごして来た月日に思いを馳せた。

食後に又、お互いの今の生活についての話になった。

「XX君の子供の話きかせてよ」
「娘と息子が一人づつ、そう君の大学へ行ったよ、娘をつれてね。娘はね、ピア
ノを小さい時から習ってるんだよ。それで、先生の紹介で君の大学のピアノ科の
主任教授に聴いてもらいにね行ったんだよ。校舎にはいると、廊下の両側に防音
扉のレッスン室が、ズラッと並んでて、びっくりしたよ。」
「えっ、いつ行ったの?」
「去年の春ごろだったかな防音扉の小さな窓からのぞくと、どの部屋でもみんな
一生懸命にピアノ弾いてるんだよ。」
「君も、この廊下を毎日のように歩いてたのかなと思うと感慨深かった。
今にも扉をあけて、学生の頃の君が飛び出して来そうな気がしたよ。」
「XX君、そんなこと考えてる余裕あったの?教授にレッスンつけてもらいにいっ
たんでしょう。」
「それがあったんだ、娘も奥さんも一緒だったんだけどね。確かY教授って言っ
たかな、研究室には、グランドピアノが二台置いてあって、一台は、ヤマハ、も
う一台はピカピカのスタインウェイだったかな。教授がかっこいいんだよ。銀髪
でね、すごく柔らかな物腰でむすめをスタインウェイの方に座らせて、弾いてご
らんなさいって。指の形がおかしいね、そんなんで良く上手に弾けるねっていっ
てたよ。今の先生じゃ教えきれないからあたらしい先生を探してみましょうって
ね。感受性を養って、焦らず練習しなさいってさ。知ってる?Y教授」
「ええ私もピアノは少しは、やったから。一度だけその先生の部屋で弾いたこと
あるわ。その時は、まだスタインウェイじゃなかつたと思うけど、もっとゆっく
りていねいに弾きなさいって言われたわ。結構練習して行ったんだけど、ピアノ
は同じ鍵盤楽器でも、やたら重くって、タッチがうまくつけられなくて焦っちゃ
った。でも一応単位はもらったわよ」
「今、娘は、新しい先生のところへ行ってるよ。ひょっとしたら、君の大学を受
験するかもしれない」
「えっ、XX君のお嬢さんていくつ?」
「13歳、中学一年生だよ」
「そうか、そんなに大きいの。そうよね、100年振りにあったんだもんね。聴
いてみたいなXX君のお嬢さんのピアノ」
お嬢さんてガラじゃないけどね。8月の終わり頃、発表会があるよ」
「行ってもいい?」
「本気かい?たかが中学生のピアノだよ」
「いいの、聴いてみたいの、XX君の子供だから。見つからないようにそーっと行
くわよ。今度場所と日にち教えなさいよ」
「じゃあ、そこまで言うなら、専門家にご批評願おうかな」
「うん、ぜひそうしなさい」

彼女は時計を見て思い出したように言った。

「XX君、そろそろ帰らなくていいの?私の方は、別にいいけど」
「そうするか、話だすときりがないね、またあえるよね」
「そうよ、またあいましょう、近いうちにね」

見送ってくれる彼女の手を、短く握ってひとみを覗き込んだ。

「じゃあ又今度、かならずデートしようね」

彼女は、そう言うと少し微笑んだ。

つづく