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小説のつづき 7

そのホールが発表会に使われるのは初めてだった。300席程の小さなホールだ
けど、ドイツ製のピアノが売りだった。
しっかりした造りの建物は,リハーサルの音を聴いてもきれいな響きを持っていた。

まずは、小さな子供がでて来て、発表会にお決まりの曲を弾いてゆく。出演者が
変わるたびにすこしづつ難しい曲になってゆく。小さかった娘が、弾いていた頃
を思い出す。
いつも夏が終わる頃、発表会の曲を懸命に練習していた。先生の娘の年令には背
伸びした選曲と、妻の厳しい指導によく応えて練習を続けて来た。そして気がつけば10年近い歳月が流れていた。
ピアノのペダルに足がつかなかった小さく可愛かった娘は、もう妻の背をとうに
越して一オクターブを楽に押さえられる手をしている。

かん高い声でいつも話しかけ、休日にはピアノをきかせてくれた。その娘も大きくなって、今は僕に話しかけることもピアノを聞かせてくれることも、よほどの事がないと行われない。

休憩時間になった。彼女は、本当に来るのだろうか。
ロビーで妻と話しながら、それとなく辺りを見るが、目に入るのは、綺麗なドレ
スを着た小さな女の子達とその家族ばかりで彼女の姿はない。
開演のブザーにおされて席につく。客席の照明が落ちてもう後ろの方は顔の判別がつかない。
娘は最後の方に静かにステージにでてきた。軽く頭を下げて椅子に座ると、鍵盤
に手を置いた。そして、ゆったりと弾きはじめた。
バッハの独特の旋律が流れ出した。抑えた抑揚の中で、消えていく音が美しい。
今までざわついていた客席がようやく静まった。
彼女は今どこかに座って、このバッハを聴いているのだろうか。
後ろを振り返っても彼女の姿はわからない。
気を揉んでいるうちに娘の出番は終わった。
僕の聴く限りうまく弾けたように思うが、プロの人達の耳にはどう聞こえたのかわからない。
結局、彼女の姿を見つけられないまま、発表会は終わり僕達家族は食事をして家に帰った。

翌日、会社の帰りがけに彼女に電話をいれた。
「こんばんわ、XXです。きのうは、結局来てくれたのかい?」
「こんばんわ。もちろん行ったわ、聴かせてもらったわよ」
「どうだった」
「なかなかやるじゃない、力強いピアノじゃないけど、繊細な音が良くでてたわ
よ」
「そうかい、よかったかい?」
「すっかり親バカね、たかが中学生のピアノって行ったのは、XX君よ、おかしい
わね」
「そりゃそうなんだけどね」
「ううん、上手だったわよ、最後にでた高校生と実力的には互角ね。
これから、どんどん上手くなるわよ心配しなくても。私の大学なら2〜3年もこのペースでやれば、間違いなく合格するわ」
「私ね、見てて思ったの、どこか雰囲気がXX君に似てるなって。やっぱり親子
ね」
「そうかなあ、あんまり似てるとも思わないけど」
「顔がそっくりとかじゃなくてね、雰囲気よ雰囲気がにてるのよ。ちょっとゆっ
くり歩くテンポとか」
「まあ、いいか。取りあえず、聴きに来てくれてありがとう。あの日は、注意し
て探してたけど、わからなかった」
「二部が始まってすぐに入ったのよ。でも暗かったからわからなかったでしょ
う。最後の子の二曲目で帰ったしね。XX君たち親子の姿は、後ろから見えてたわ
よ。奥さんともそんなに仲が悪そうにもみえなかったけどな」


「今度のデートの件だけど」
「あら、もう話題変えるの」

彼女は娘のピアノについて、もう少し感想を付け加えた。そして僕は、次に会う
日の時間と場所の相談をした。僕は、あまり神戸を知らないし、彼女は大阪を知
らない。結局、お昼前にハーバーランドであう約束をした。  
                                つづく