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カルマ

ブログの中でカルマという言葉がそれなりに出てくるので、私の認識してる範囲になりますが、今回はカルマをテーマにお伝えさせていただきます。


カルマとは…

カルマまたは業ともいいますが、カルマと聞くとなんとなく重々しいイメージがある方もいるのではないでしょうか。



しかし、カルマとは何かを少しずつ紐解いていくと、
「良くも悪くも魂の傾向性」という視点が見えてきます。




もっとシンプルに言うとカルマとは
「魂の癖」とも言えます。
癖とは知らぬ間に出てしまうものですよね、



ここで魂という真っ白な服を着ていると例えてみます、そして服にシミができてたとします、


このシミをカルマだと思って下さい。



シミって自覚がなく、知らないうちについてしまったことってありますよね、




カルマもまさにそうであって、自覚できず生まれてることが多いです。




この場合は服なので帰ってから気づき、恥ずかしいなどのそれぞれの感じ方で済みますが、



魂のシミはそうはいきません、知らず知らずに「魂の傾向性」となり私たちの生活に影響してるってことです。




このシミは自分では深く意識しないと気づきにくいが、他人からはその箇所が目について見えやすいということにも繋がります。



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カルマまでの流れ

ではなぜカルマが生まれるのかについて視点を合わせていきます。


ここで、今までのブログ内でお伝えさせていただいたことをまとめながら例えてみますと、


「私たちは永遠の魂であります」


「魂は自由であり、心を学ぶ為の方向性を  
 決めます」


「魂の方向性とは心という山を登るのに東西南北ある入り口のどこを選んで人生として歩み進むかです」
 


「そして死を迎えることが、
 一つのベースキャップとなります、
 これは心の山登の休憩箇所です」


転生することでベースキャップからスタートができるようなイメージがあると思って下さい。



そして、ここで関わってくるのがカルマです。



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良いも悪いもカルマの特性

ベースキャップとは前回(前世)の続きから学びを再スタートさせるのですが、




地球で心を伴う魂の進化には、
「地球的真理」という正しい道筋があり、必ずここに沿った学びや個のミッションがあります。




例えば魂の成長の為に「愛を与え尽くす」というミッションを選んだとします、




しかし愛を奪ったり、貰う選択ばかりをして、 本来の目的である与えることせずに人生を終えたとした場合、




目的は達成されず、地球的真理の学びやミッションからは逸れた魂の傾向性になりますよね、




これは愛を奪い続けたという記録が魂にされます、この記録がシミです。




そして生まれ変わる時、魂の中に愛を奪い続けた記録という傾向性(癖)が引き継がれます、




それと同時に、転生時は基本的に前世記憶のリセットがあります、ということは前世の時点で気づけなかったミッションがさらに気づきにくくなります。



つまり、前世の時点で気づけなかったミッションが魂の無意識の領域にあって、愛は与えることに気づくまで、無限とも思われる時と共に個のミッションが引き継がれてると言えます。



なのでよく聞く言葉が、
「蒔いた種は刈り取らなくてはならない」です。



もう少し違う切り口でお伝えすると、
魂としての選択は自由であるが、その選んだ自由に対して責任は負わなくてはならないということです。



これがもし、蒔いた直後の芽なら難しくないのですが、もしも何世に渡って育てたカルマは魂の傾向性が強くなります、古いシミや黄ばみは取れにくいと一緒でこうなると刈り取ることが難題になってきます。



これがカルマとなり、実は数百年どころか数千年以上も同じことを繰り返してます。



では、ここでもう一つの分岐点として
もし、愛を与え続けた場合はどうなるでしょうか?



この場合、魂には愛を与え続けた記録がされ、次回は「与える愛からさらに発展ある愛とは何か」を実践する真理の学びやミッションの選択ができます。



この場合はシミと言うより、アップリケのイメージですね、魂という服にお気に入りを縫いつけた感じのカルマになります。




なので良い悪いも傾向性であり、カルマとなります。



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繰り返す渦


しかし、個のミッションが達成できてないまま記録されてるカルマが多いのも事実ですし、




特にそのカルマとして深く関わった存在同士は夫婦、親子、嫁姑、兄弟、友人、他人など毎回様々な関わる形を変えて出会える現象があります。



そして、「した側」としての経験と、
その逆の「される側」の経験、さらに「直接的」なのか「間接的」なのかと様々な角度からカルマに気づくチャンスをいただいてます。




しかし、自分に関わる渦には苦しさがつきものでなかなかカルマは見えません、なので他の人が鏡となって教えてくれてる声に耳を傾ける必要も出てきます。



そして確認するにはブログで何回もお伝えしてますが、
それには「自分を知る」必要があります。



自分の服に着いたシミを見つけるには一回服を脱いで前後を確認したらいいですよね、でも魂は服と違い簡単に脱げません、なので客観的に自分を見る(知る)必要があります。


自分を知る=

魂の傾向性(シミ)に気づく=

カルマの崩壊に近づけるチャンスです。

なので他の人が鏡となり教えてくれることに気づくためには、
「素直、感謝、反省、謙虚」
ここに目を向けることが近道となります。



これは過去のブログでもお伝えさせていただいてます。



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シミから個性へ

ここで私自身の魂はどんな感じかというと…シミとアップリケというよりもツギハギだらけの服になります、



けして素敵で美しいとは言えないです(笑)



ブログでは「心の光」をお伝えさせてもらってますが、真っ黒なシミもあります、これは地獄という反省部屋にもお世話になった証でもあります。




なので優秀な魂ではありません。




これには、「光を知り闇を知る方法」もあれば、「闇を知り光を知る方法」があり、それをやったことがあるからです、



つまり闇も光に転換できるということです。



その瞬間から「シミ」だった汚れが     「個性」という心の光となります、



「カルマのシミ」だったことが
「魂の個性」となるということです。



これがカルマの崩壊であり、解放と私は思ってます。



ただ闇から光を知る方法を、死後にお持ち帰りすることはオススメはしません、



なぜなら囚われる時間のロスが多く、カルマが加わるとさらに深くなり、膨大な時間を費やす可能性があります、



なので命ある間に気づき、努力し方向を変えることで転換できます、こちらをオススメしてます。



もちろん大きく育ったカルマは気づくだけでは崩壊しませんが、カルマに気づき反復しない行為が1%ずつでも解放に向かってる真実があります。




カルマは気づきにくいですが、気づくヒントが隠されてます!そして視点を変えてお伝えすることもまだまだありますが今回は流れの部分に焦点を当ててお伝えさせていただきました、




また機会があればもっと深い話しもお伝えさせていただきます。


私からのカルマ視点になりましたが、知ってもらい、気づくことがあったとしたなら私にとっての幸せでもあります、ありがとうございました。

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