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プレゼンテーションの資料作りは、「手を抜け」?

私は海外の4か国に22年間駐在していました。仕事やプライベートを通じて、さまざまな興味深い異文化に遭遇してきました。

ドイツ駐在中に、ドイツのとある銀行が開催した経済セミナーに参加したときのことです。
ポディアム(演説台)に登壇したのは二人のドイツ人。
最初のドイツ人の話は世界の経済状況について。20分ほどの英語でのプレゼンテーション。

驚いたのは、なんとプロジェクターに映す資料は1枚もなし
プロジェクターの設置すらない。もちろん紙での配布もなし。
口頭でしゃべるだけ。あるのは音声と身振り手振りのみ

そして二人目のドイツ人プレゼンターも資料なしで、15分ほどプレゼン

セミナーに参加していたドイツ人たちはオドロキや不満げな表情を見せているわけでもないので、資料がないことは特にオドロキに値するわけもなさそう。

プレゼンテーションとは、口頭で説明する内容を、同時に資料も提示して、聴講者の理解を深めようとするものだ、とわたしは思っていましたが、どうやらドイツでは違うらしい。

そもそも、資料もなく英語でこむずかしい話をされても、まともに聞き取ることもままならず理解できないことばかり。

日本の銀行が開催するセミナーにも参加していましたが、それはそれは、詳細で丁寧なわかりやすい資料が映し出され、配られます。何人が何週間かけて作ったんだろうという恐れ入るような資料です。

ひるがえって、私が働いていた現地法人でも、ドイツ人やイギリス人などのプレゼンを聴く機会が多かった。
さすがに、資料無しでのプレゼンという経験はありませんでしたが、資料の作り方が明らかに日本人が作るものとは異なると感じていました。
イメージとしてはこんなかんじ。

欧米人プレゼンテーション

つまり、口頭で説明する内容の「キーワード」を3つほど箇条書きにする。
これが典型的な欧米人のプレゼンテーション資料です。
キーワードだけを聴衆の脳裏に刻み付けようというものです。

とてもシンプルなので、指し棒やポインターで資料のどこを説明しているのか指し示す必要もありません。
実際、彼らはほとんどポインターを使わずプレゼンします。

欧米人のプレゼンを聞いたあと、日本人からは「あいつらホントに資料作るのヘタなんだよなー」という陰口がときどき聞こえてきます。
相手に面と向かって言わず、陰で言うあたりも日本人的ですが(笑)。

一方、日本人が作るプレゼン資料はこんなかんじではないでしょうか。

日本人プレゼンテーション

伝えたいポイントやメッセージだけでなく、その根拠やバックグラウンドなど説明する内容を漏れなく資料に書き込みます
ときには、口頭で説明する内容以上のことまで詳細に書き込みます。
私はここまで詳しく調べたのです!」と強調するかのように。
プレゼンターは、ポインターを使って、資料のどの部分を説明するのかを指し示します。

ディテールまで書き込んである日本人の作る資料は、それを見るだけで説明を聞かなくてもだいたい内容は理解できてしまいます。

こういう情報満載の資料に見慣れた日本人が、欧米人の資料を見ると、
チープに見えてしまうわけです。

しかし、これはプレゼンテーションの考え方の違いであって、「上手い下手」とか「ディープ・チープ」の問題ではないのです。

彼らのプレゼンテーションというのは、「しゃべることで伝える」のであって、資料はあくまでも「しゃべりのサポートするもの」でしかないのです。

彼らは大学の授業で、プレゼン資料は「Make it short and simple」と指導されます。
彼らはこの指導に忠実に従って作っているのです。
「ヘタ」でもないし、「チープ」なわけでもないのです。

彼らからすると、日本人が作成した資料を見ると、「情報満載すぎてどれがキーワードなのかわからないし、何を言いたいのかわからない」となるわけです。

日本人のプレゼンという言葉から想起されるのは、
投影された資料をポインターで指し示しながら説明する姿」ですが、
欧米人のプレゼンは、
聴衆へ向けて身振り手振りを交えながら熱く語りかけ、自分の考えを主張する姿」なのです。資料には頼りません
この違いが資料作りにも影響してくるわけです。

これを理解すれば、欧米人の資料に対して不平不満を持つことが不合理だと気づくでしょう。

ではどうすれば日本人も欧米人も納得のいくプレゼンが行われるようになるのか。

日本人が見慣れた、理解しやすい資料作りが必要だと感じる場合には
日本式のプレゼンテーションというものをローカルスタッフに説明し、理解を得ることです。
プレゼンは資料が「主」であって、しゃべりは「副」であることです。
それは彼が習得してきた「Make it short and simple」から外れることになるため、素直に受け入れられないスタッフもいるかもしれませんが、時間をかけてでも、スタッフたちに浸透させていくのです。

目に見える事象の違いを感じた時に「相手が劣っている」とお互いが感じてしまいがちです。
これが、異文化の落とし穴です。
相手の言動が理解できず、そこから違和感やすれ違い、ときには疑心暗鬼を招いてしまうことがあります。

大事なのは、なぜ事象の違いが生じたのか、根っこにある、文化・習慣・価値観の違いに目を向け、相手とその違いを理解しあうことです。

お互いに理解できれば、解決策が見えてくるはずです。
同じ現地法人に働いている仲間なので、ビジネスの目指す方向やゴールは共有できているはずです。
ゴールに向かって同じ道を歩んでいくためには異文化の壁を乗り越える努力が欠かせないのです


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