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他人に無関心で寛容な中国人

中国人同士の会話を聞いていると
日本人のそれとは異なる特徴に気づくことがあります。
そのうちのひとつが「誘いの断り方」です。

たとえば、
A君が、友人B君から食事に誘われたとします。
ところが、A君はすでに、その日は別の用事が入ってしまっていて
その誘いを断るとします。
こういうとき、日本人の場合は、
「誘ってくれてありがとう。行きたいのだけれど、実はその夜は先約が入っちゃってるの。ゴメン、また誘ってね。」
ぐらいの返事をしますよね。
そしてその「先約」について、少し説明を加えたりします。
「会社の先輩がさあ、その夜はめずらしく、焼肉に連れて行ってくれるって言っているの。もう返事しちゃっているしー、今から断るわけにもいかないんだよねー」みたいな説明。
行けない理由を、必ずと言っていいほど相手に伝えます。
断るための口実」だと思われないようにするため
「先約」について説明を加えて、暗に「決して口実なんかじゃないんだよ」、と伝えたいという意識が働きます。
友人Bからの食事の誘いに、行きたいけど行けないことを強調するわけです。

言い換えると、説明を加えることで、
「相手に不愉快な思いをさせないようにしよう」
「ボクはキミのことを大事に思っているんだよ」と訴えるわけです。
たぶん、無意識のうちに。

これが中国人同士だと、かなり異なるやりとりとなります。
先約があって誘いを断るときの返事は、「我不去(私は行かない)」または「我不能去(私は行けない)」の一言だけです。
あっさりですが、答えとしてはとても明快です。
なぜ行かないのか、なぜ行けないのか、理由はあまり必要ではありません。誘った友人B君からすると、A君が来るのか来ないのか、それだけが関心事なのです。
友人B君も「なぜ来れないの?」なんて問い詰めたりしません。

中国人の気質の特徴として、
相手に無関心」「相手の事情に干渉しない」ということがあります。
血縁や地縁などのつながりはとても強いのですが、
それ以外の相手の行動に関しては関心が無いのです。
あるいは、自分はしょせん他人の行動を変えることはできない、
と割り切っているのかもしれません。
言い方を変えると、中国人は他人に対してとても寛容ともいえるのです。

この「他人に無関心」であることが「寛容」さにつながっているならば
日本人も、少し「無関心」を見倣ったらどうだろうか。
「行けない理由」なんか言わなくても、相手は気にせず受け流す。
常に相手に気を遣ったり、異質(常識しらずの変わり者)に見られたくない、という一人ひとりの意識が、窮屈な日本の社会をカタチ作ってきた原因のひとつかもしれません。

われわれも、もう少し寛容さを身につけて、お互いを認め合えれば、日本特有の「同調圧力」も和らいでいくのではないでしょうか。

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