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日本での仕事や職場に窮屈さや退屈さを感じておられる方は多いのではないでしょうか?

わたしも、大手自動車会社に入社後の本社での10年間、まさに組織の歯車
のようで満足感を得るのは難しかったです。

11年目にして、希望し続けていた海外転勤のチャンスが巡ってきました。
32歳でした。

イタリアの片田舎にある小さな子会社でした。
丸5年間、この現地の子会社に在籍しました。
住んでいたのは人口3万人の小さな町。
日本人どころか、世界のあらゆるところに進出している中国人すら
町で見かけることはありませんでした。
ピュアなイタリア人社会での生活がスタートしました。

当時長男が小学1年生、次男が3歳、末の娘が0歳でした。
長男はいきなりイタリア現地校に通い始めました。
田舎町ですから、日本人学校はもちろんインターナショナル校もありません。

学校に日本人はウチの長男一人だけでした。
現地校ですから、もちろんすべての会話はイタリア語です。
登校初日の一時間目から、先生の言っていることは
一言もわかりません
外国人向けの特別授業もありません。
母親がフォローしようにも、母親も一言もわかりません。

一方、わたしはというと、
出社初日から、その現地法人の日本人社長に山のような仕事を命じられて、家族の面倒、子供の勉強の面倒を見るどころではありません。

こんなかんじで、それまでの日本での日常が180度変わってしまいました。
この写真にあるような、イタリアらしい風情溢れる裏通りも、当時の私には不安を掻き立てる景色でしかありませんでした。

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昨年60歳で定年退職するまでの、38年間のうち
22年間、イタリア、カナダ、中国、ドイツの4か国に駐在してきました。
中国は、あの!武漢でした。

22年間の海外生活において、
楽しいこと、辛いこと、驚くこと、悔しいこと、
さまざまな思い出がありますが、
学ぶこともとても多かったです。

わたしには海外勤務が性に合っていたのかもしれませんが、
本当に充実した22年間でした。

ただ、海外で働いていると、さまざまなストレスやフラストレーション
を感じることが多かったです。
それは言葉の違いはもちろんですが、
文化の違い、価値観の違い、習慣の違い、常識の違い、倫理観の違い
などが原因となることがとても多いです。

これらの違いなどにより、
精神的に追い込まれるケースもあります。
なので海外に飛び立つ前に、
事前に少しでも違いを理解しておくことで、
スムーズに仕事に向き合い、
ストレスを減らすことができるだろうと思っています。

わたしが22年間で身につけたこと、
異文化理解のセミナーや本で学んだことなどを、

このnoteアカウントを通して継続して発信していこうと思っています。
誰かのお役に立てることを願って。

次回、異文化理解の第1歩である「コンテクスト(文脈)文化」についてお話ししていきましょう。

ではまた!




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